6月24日 ①

 前職を離職してから、新年度開始を目途に再就職したかったこともあって、有休期間中も一日の生活リズムを極力変えないように努めていた。勿論、出勤して勤務し、終業後帰宅する…という、仕事に関わる一連を辿って暮らすことは出来ない。しかしその時間を畑仕事や家事に費やし、仕事の検索という作業に充てたことで、リズム自体は大きく変わらなかった。肉体労働が増えたことで、体力の消耗はこちらの方が激しかったほど…。
 しかし、日に日に気温が上昇し、日中、農耕に出られなくなる。間もなく梅雨入りし、計画的に整いつつあった畑は、あっという間に草ぼうぼうに戻った。
 身体を動かさないということは、心を働かせることさえさせないということに繋がるのだと実感している。動けないのを理由に、動かずに出来ることで時間消耗を図る。目と耳を通った感受性をキーボードでひたすら打ち込む日々。一円も生活の足しにならないが、パソコンに向かうことで、自分が仕事をしているような錯覚を起こす。したかったが、時間が無い事を理由に何十年も逃げて来たこと…それを今、しているのだ。
 何の足しにもならないが、しておかなければ、この先また、時間がないという理由をつけなければならなくなった時、時間があったはずの機会を無駄にしたと悔やむだろう。しかし時々、ただ寝転んでテレビ画面の映像を眺めている自分を、心の中から見つめている私が問いかける。
『こんなことをしている場合なのか?』と…。
 心の外から内側を見つめている私は、もやもやを抱えたまま答える。
『では何をどうすれば…?』
 どちらも私で、どちらが正しく、どちらが間違っているのでもないと思う。とても狭い視野の中で、私は自分が思いついたことは全てやってるし、もっと他のことをするべきだと、広い視野の誰かが提言したとしても、それが正しいと思えない理由を多分述べられるからだ。
 人に会わずに暮らしている今、インターネット上の様々古い意見が枷にも救いにもなる。
「アラフォー未経験で正社員は無理」
「分相応を知り、身の丈に合ったところを目指すべき」
 片や…
「40過ぎてから正社員で3回転職した」
「45で未経験でも、初めて正社員になれた」
 などという意見も…。
 嘘でなければどちらも正当な話だと思う。世の中は思っている以上に広く、多岐に渡る。常識だと言われて然るべき事柄が、別の場所では、凝り固まったありがちな話という次元の、それこそ視野の狭い現実に終始していることもあるのだろう。
 私が生きているのは、恐らくこの世の大多数である前者の世界。しかし私自身はそんなことに目もくれずに猪突猛進していて、必ず自分が納得して納まるべき場所があると、揺るぎなく思い込んでいる。なのに現実がいつまでも伴わないからおかしくなりそうなのだ。
 分相応ってなんだろう?

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