妹という人 ④

 腹が痛い割に、夕食時も妹は饒舌であった。
 キリが無いので、後片付けを済ませると、私は犬と夜の散歩に出かけた。帰った後、散歩バッグを見ると、中がぐちゃぐちゃであった。母はこういうことに無頓着だ。気になる私は中身をひっくり返す。バッグ自体も角に穴が空いていたので、新しい物と取り換えることにした。
 うんち取り用のチラシを揃える。中袋のひとつにビニール袋を纏めて入れる。もうひとつにはブラッシングセットと小さいジッパー袋に入った〝お茶〟用のおやつ。ポケットティッシュもこちらへ入れた。
 見るとおやつ入れと同じ大きさのジッパー袋に、十円玉が一枚入っている。以前から散歩バッグに入ったままで気になっていたのだが、散歩から帰るとすぐにカバンを片付けてしまうので、いつも訊くのを忘れていた。
「なぁー!散歩バッグの中の十円玉って何?」
 二階に向かって叫ぶ。
「あー、それ、今日十円拾ってん」
 母の返事と同時に、妹の爆笑が聞こえた。
 ジッパー袋の十円は、この日拾ったものではなかった。以前から入っていたのだから、今日なわけがない。よくよく話を聞けば、今朝十円を拾ったのは事実で、それは母のポケットに入っていた。ジッパー袋の中身は、随分前に拾ったのを入れていたのだろう。
「これも一緒に入れといて。何かあった時のために…」
 母がポケットに入っていた十円玉を差し出す。
「何かあった時のためって何よ?何かあったら電話でもしようと思ってんの?公衆電話なんか今時無いやん!」
 母は、「公衆電話はある」と言い張った。散歩先の〝お地蔵さんの横〟にあると言う。
 自分でも言っていたが、まるで笑い茸を食べたのかと思うくらい、妹が笑い続ける。十円拾った発言に爆笑しているのだ。
「一円でも母は拾うのか…?」と問えば、母は「シエルが見つけることもある」と答え、妹の笑いは更に止まらなくなった。
 東京人はお金が落ちていても素通りすると言う。ホンマか?
 拾った人が、わざわざ他の人に報告しないだけではないだろうか。〝人の目がある〟という意識があるから、拾わないだけで、実際、誰も見ていなければ、東京の人でも見付けたら拾うだろう。
 そんな会話をしていて、ふとあることを思い出した。
 以前、職場で、「定価3,980円の服を500円で買った」という話をしていたら、聞いていた地方出身の同僚が言った。
「大阪人って、安い物を買ったら自慢するよね」
 何がおかしいのか解らなかった。私はそれを当たり前のことだと思っていた。得をして嬉しい!ということを自慢せずに、一体何を自慢する?
 しかし彼女に因れば、他地方の人は高い物を買った時に自慢するのだと言う。自分がいかにお金を持っているか…と他者に知らしめる結果に繋がるところが、自慢すべき点であるらしい。
 それの何が自慢になるのか…と思った私は完全に大阪の人間で、立派におばちゃん的気質が育っているのかも知れなかった。
 私は母から受け取った十円玉をジッパー袋に追加し、二十円になったそれを散歩バッグに仕舞った。
 拾ったものだからいつか何処かで世間に還元しようと、わざわざジッパー袋に入れているのかと思ったのだが、そうではなかった。私のツボは、母やシエルが道端で小銭を拾う行為ではなく、拾った小銭を〝何かあった時のために…〟という名目で携帯している件だった。
 妹は言った。
「そもそも、公衆電話なんか使わんでも、携帯持ち歩いてるんちゃうんかいな?」
 尤もな意見である。

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