学校図書館司書という仕事
初めて赴任した時、何に何処から手を付けて良いのかわからなかった。何せ初めての職業。一人職なので指南してくれる人がいない。勤務開始前に引継ぎと称して二度呼び出しを受け、一校では校長から数時間に渡って図書に関する要望を延々と聞かされ、もう一校では授業の流れと機械の基本操作について実地演習を受けた。図書に関する熱意の凄まじい校長に脅威を覚え、始まる前から不安になった一方、授業に参加した2年生のクラスはとんでもない荒れよう。たった45分の授業内で司書は走り回らなければならず、不安は更に増長した。
勤務が開始し、初めて授業を行ったクラスは、引継ぎの時に見たクラスとは比べ物にならないほど落ち着いていた。4年1組には本好きの児童が多く、人の話をよく聞くだけでなく、とてもフレンドリーだった。担任の先生と新米司書の名字が、字は違えど同じ読み方をするという珍しい偶然も重なり、緊張をいくらか解してくれるような初日だった。
今思えば、見えない誰かが味方をしてくれていたのではないかとさえ思う。そう考えたいのは、いくつかの縁がこの就業を後押ししたせいでもあった。
就きたい仕事に就けなかった後、ひたすら前向きに過ごしてみたら?と言ってくれた友がいた。実践しながら過ごすこと三ヶ月。前の職場を同時期に去った友人から、学校図書館司書の募集が出ているという情報をもらった。知人の中に、私が司書資格を持っていることを知っている人は少ない。
同じ頃、別職種の面接を一件受けた。一体どちらが自分に合っているのかわからないが、そちらは過去のスキルを活かすことの出来る、やりたい仕事のひとつであった。司書より給料が倍ほど良いのに、勤務時間が少なく、かなり得な感じがしたが、就労先がこれまた倍以上遠かった。
合否結果は、同じ日の速達で、バイクの郵便局員から一度に二通のそれを受け取った。先に開いた方に〝採用〟の文字を確認し、歓喜する。無職の三ヶ月が終わる!
もう一通を開くとき、『こちらも採用だったらどうしよう』と一瞬不安が過ったが、杞憂に終わった。倍率で言えば、合格した方が倍も高かった。司書の仕事は未経験。共に試験を受けた人の中には、司書経験者もいたというのに、何故私が採用されたのか分からなかった。
新しい世界に踏み込むことは、何故か〝頭を打つ〟ということには繋がらなかった。勿論、小さな失敗は幾つもあり、多かれ少なかれ嫌な思いもしたが、過去のように〝四六時中引きずる〟ということには殆どならなかったのだ。
理由もまた、幾つか考えられる。
先ず、基本的に対・人の業務であるにも拘らず、一人職であるばかりに、集団の中に於ける協調性を強く求められる場面が少ない。学校司書は学校司書として、一つの職種、一人の人として認識されることが多く、集団の一員である中で、出る杭として打たれる経験を繰り返してきた私にとって、至極立ち位置が快適であった。
しかしその点で苦労が無かったと言えば嘘にはなる。二校兼任時は特に、あらゆる事象から〝蚊帳の外〟になる場合が殆どで、孤独極まりない場面の山であった。知る機会を逃し、知らされないまま、知らないまま、知る術もないまま…というのも一度や二度では済まない。自主的に情報収集しようにも、週二日と週三日で連勤しないため、人間関係の構築に時間を費やす時間さえない。また、一週間の間で情報に変動が起こる場合もあり、居ても居なくても気付かれにくいせいで、情報が伝わらず困っているのでは…?などと誰かが懸念することもない。知らないこと、知らなかったことに驚かれることが多く、知らなくても問題ない、という誤解を受けることで、実際、業務に差し障る場合が再々あるものだから、困りごとが増えるのであった。
助けてくれたのは同じく一人職の養護教諭や、在勤年数の長い担外の教員。業務に関わる情報を回してくれるだけでなく、誰がどんな人かという、図書室に籠っていては気付けない話題を幾つも提供してくれたので、「何もわからない上に仕事に忙殺!」という状態の緩和に繋がった。
〝図書の先生〟という職業は、就いてみなければ誤解したままだった。日当たり穏やかで静かな図書室のカウンターに日がな一日座っているイメージだったが、じっとしている暇など一分たりとして無い。最初の一年は、仕事を終えて帰った後も、翌日何をして何を片付づけ、何を準備しなければならないのか、眠りに就くまで考えていなければならなかったし、朝目覚めると、その日一日の段取りが上手く運び、リストアップした〝しなければならないこと〟がひとつでも多く処理出来るのか、緊張でドキドキした。常時アドレナリンが彷彿している状態で、心も体も〝休む〟という暇などなかったのだ。とても身体が付いて行かず、一、二ヶ月で辞めようとしたが、ひたすら仕事が追い駆けて来るので辞めるタイミングを見付けることも出来なかった。
前職も同じく、世間では楽で愉しい仕事だと誤解されやすかったが、こちらは何年も前から人員不足が社会問題化しているので、〝楽で愉しい〟わけがないという理解は得られるようになってきている。
但し、一般的に離職率の高い職業であっても、一生をかけて現役を貫く人も中にいるわけで、私のような人間が目を回しながら働いている一方で、特に無理なく苦労なく、程よい力加減で仕事に臨める人は、運やら縁やらに恵まれて、継続することに神が異議を唱えないのであったり、若しくは適正にぴったり当てはまって、自ら手を放すことなども考え付かないのだろうと思う。
大変大変と言いながら、これで一生食べて行きたいと思えるようになった今でも、現状では食べて行けない職業になりつつある。遣り甲斐や生き甲斐をくれる面白い仕事は、〝生きる〟という場所からどんどん離れて行く。
「生活できなければ仕事ではない」と言った友人の言葉を、そのまま自分も感じているのに、新しい行き先もタイミングも見いだせないまま、忙しさを理由に旅立てないままだ。
本当に見付けなければならないのは、子ども達との別れ方なのかも知れないと、何処かで思ってもいる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?