嫁という存在①

 私の母には弟が二人おり、其々結婚している。それ故、母や祖母(母方の)にとって〝お嫁さん〟と呼ぶに値する人物も、二人いることになる。この二人が実に対照的なのであるが、それが性格や育った環境によるものだけなのか、義理の両親と同居しているか否かという、違いが関係しているせいなのかは定かではない。
 上の弟の嫁である冬子さん(仮名)は、小柄ぽっちゃりのかわいらしい人なのだが、まるで笑わず、夫や自分の子ども達以外とは殆んど会話らしい会話をしない人で、盆や正月に義姉(私の母)家族が帰省しても、滅多に姿を現すこともなければ、挨拶することすら稀であった。
 元々義両親との同居を渋っていたというから、色々と不満があったのかも知れない。しかし、長男の責任を果たさんとする叔父が、「同居しないなら結婚しない」と見合いを断ったというのに、後になって条件を呑み、嫁いできたというのだからわからない。ある程度覚悟をしてきたのではないかとも思えるが、実際、嫁いできてからの態度を見ていると、一体どういうつもりで結婚を決意したのか謎だらけである。
 一方、下の弟の嫁である夏子さん(仮名)は、人当たりの良い、和やかで心遣いの出来る人だ。それなりに年を重ねた〝いい大人〟であることを思えば、挨拶が出来ることなど、当たり前と言えば当たり前なのだが、再会すれば朗らかな顔を見せる。会話も一般的に交わすし、話しもすれば聞きもする…付き合い易い人である。従妹達と年の離れた私としては、子ども同士で関わっているより、この叔母と話している方がずっと心地が良く、違和感なく過ごせる。
 この叔母が素敵なのは、その朗らかさや優しさに、押し付けがましさがまるで無いところである。押しかけ女房であったと聞くだけあり、見ているだけでも夫を好きなことが伝わって来る。寡黙で、超の付くド天然な叔父であるが、叔母の前ではちょっと偉そうぶったりするのが可笑しい。夫婦仲の悪い両親を見ながら育ったせいか、この叔父夫婦は私にとって理想であった。
 そんな二人の嫁だが、極端に違うということを幼い頃から感じていたわけではない。私の中で決定的に違ってしまったのは、自分が〝大人〟と呼ばれる年齢に達してからであった。
 祖父が入院することになり、あることから私がその為の手伝いをすることになったのだ。
 元来健康で、病気など殆んどしたことのない祖父であったが、若い頃の仕事の影響で腕の痺れを訴え、手術をすることになったのだった。手術自体、難しいものではなかったが、初めてのことで不安に陥った心配性の祖母は、全身麻酔によるリスクを聞かされて、当の本人以上にパニックになった。同居している息子か嫁に付き添って欲しいが、二人とも日頃から常々「仕事が忙しい」と口癖のように言う。頼れない…と感じた祖母は、他府県に暮らす娘に助けを求めた。母か、孫である私に、一緒に付き添ってくれないか…と言うのである。  
 愛想無く、年二回の帰省に際してさえ決して〝ウェルカム〟という態度を見せない嫁に気遣い、年一回実家に帰ることにすら神経を擦り減らしていた我々にとって、祖母からの依頼は嬉しいものであった。母にも私にも仕事があったが、必ずしも休めないわけではない。「じゃあ、どっちが行く?」となり、協議の結果、有給休暇の保障されている私が行くことと相成った。
 伝えられた手術日に合わせて夜行バスに乗り、入院予定の病院で落ち合う為に、約束の時間まで市街地を観光する。夏か冬の思い出しかない田舎の秋は新鮮で、例年にない祖父母との再会が、〝入院の付き添い〟という目的を忘れて楽しみでさえあった。
 やがて時間に合わせて病院へ向かい、祖父母と再会。入院の説明を受け、必要なものを買い揃えてから、一足先に病室へ入った祖父の元へ戻る。
「手術…何時から始まるんやろね…」などと話していたのだが、その後の説明で、結局この日は手術前の検査入院で、手術は翌日であるという事実を知る。祖父母が事前の説明を理解していなかっただけなのか、今まで縁が無かったせいで、我々が手術のノウハウまで把握していなかっただけなのか…。三人が三人とも、酷く時間を無駄にしたように感じながら、仕方なく夕方まで病院にいたものの、この日は付き添う理由もなく、祖母と私は家へ引き上げる他なかった。

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