自己評価と他己評価

 私は自分がしたいと思っている仕事にしか応募しない。
 以前、あまりにもお金が無くて、取り敢えず出来ることをしようと思い、妥協して働いたことがあったが、見事に脱落した。自分の思いや考えを全く出すことが出来ず、言われるままに働いたが、そもそもその業務に対して自分なりのポリシーを持っていたせいで、こだわりを捨てることが出来ず、ギャップに苦しみ続けたことで、僅かな収入を得ても満たされるどころか、半分病気のようになってしまったのだった。
 その時初めて、私は、自分が自分の心に反すれば、心自体が身体を蝕むほどの反撃に出ることを思い知ったのである。
 それ以来、〝無理に働く〟ということをやめた。しかし、いい大人がふらふらしていて良いわけがなく、更にいい年の親に食べさせてもらって、家でじっとしていたとしても、年金や保険料の督促は来る。流石にそこまで親に甘えられず、『生きていくって難しい…』と、悶々としながら暮らすことは、精神衛生上、頗る不健康なのであった。
 就職活動が難航する中、気になるアルバイトを見つけた。
 本来なら、アラフォーの独身女がバイトなんぞ探している場合ではないのだろうが、どんなに正規雇用を望んでも、したくない仕事に応募することは出来ない。試験や面接のストレスを思えば、気乗りするわけがないし、そんな状態で受けたところで、合格なんぞ見込めないだろう。やる気があっても落とされる私なのだから、前向きに考えろと言う方が無茶な話である。
 というわけで申し込んだのは、過去の業務経験を経て、私がもっとスキルアップさせたいと望んでいた分野の仕事であった。過去より給与は格段に落ちるが、この職種を生業にするのであれば、同じ職種であれ、他の業務に携わることを、今は考えられなかったのである。
 しかし後日、採用担当者からかかってきた電話は、私の予想を遥かに覆すものだったのである。
「ご紹介したいお仕事がありまして…」と喋り出した担当者は、こちらに有無を言わさぬどころか、一方的に職務内容を説明し、給与や勤務時間などの勤務条件や福利厚生へと話を進めた。それは、私が申し込んだ職務とは、職種は同じでも全く違う業務であり、しかも私が経験したことのないものであった。
 戸惑っている間にも、担当者の話は続く。
 業務内容ばかりか、勤務時間も賃金も見当違いであり、更に、春・夏・冬の長期休暇中は当然の如く収入はないと言うのである。
 失礼を承知で、私は話を止めた。
「申し訳ありませんが、私は自分がしたい業務に対して応募したのであって、その仕事をお受けするつもりはまるでありません」
 先程まで饒舌だった担当は言った。
「そうでしたか…。お時間取らせて申し訳ありませんでした。ではまたご縁がありましたら、宜しくお願い致します」と…。
 一体何なのだろうか。一方的に喋った挙句、その気がないと判ると、さっさと退散する。それは良い。しかし、私が申し込んだ業務について、何故一切の説明が無いのだろう。もし、既に採用者が決まって、枠が無いと言うのであれば、そう言えば良いのではないのか?それなら理解もすれば、納得もするだろう。何故、肝心な部分がスルーされているのだ。
 私は苛々した。 
 私はこういう侮辱を再々受ける。先日も、ある嘱託職員の採用試験を受け、【補欠一位】と書かれた通知を受け取った翌日に「応募した業務とは違う部署が欠員なため、そこでアルバイトとして働かないか」と言われた。以前も、別の採用試験に不合格となり、今回と同じく「他部署でアルバイト…」と声が掛かったことがある。
 私の価値って一体…。
 そうこうしていると数日後、再び同じ組織の他部署から、電話が入った。今度は今月一ヶ月のみ、日祝だけ五日ほどの単発勤務。勤務時間は変則で、資格の要る専門職だが、自宅から遠方な割に交通費は必要最低分も出ないと言う。勿論賃金も良いわけがなかった。
 私は馬鹿にされているのかと思った。しかし一々目くじら立てていても仕方がなく、丁重にお断りする。そもそも単発で仕事をする気はないし、休日出勤をメインに働く気もない。遠い上に交通費もこちら持ちとあらば、私に何の得があると言うのか…。
 相手は言った。
「単発が無理なのであれば、来月以降は勤務日数を増やし、契約を更新するということでしたら考えて頂けますか?」
 大分人が足りていないのであろう。しかし、その場しのぎのような条件で人を雇いたいのであれば、わざわざ見ず知らずのどこの馬の骨ともわからない人間に頼るより、嘗て働いていて退職した人であるとか、もっと内輪を探せば良いではないか。大体そんな条件だから、人が来ないということが何故わからないのだろう。私は呆れた。とはいえ相手にすれば、私はこんな悪条件でも飛びつくだろうと思われているのかも知れなかった。
 後日、またもや他部署からアルバイトに来て欲しいとの連絡が入る。今度は資格も経験も全く関係なしの事務職で賃金は学生のアルバイトも真っ青なほどだったが、今回は勤務地が近いことだけ利点である。
 事務の仕事はしてみたいと思っていた。しかし勤務開始時期が悪かった。というのも私は、同じ建物の中で勤務開始の時期を同じくした、自分が希望する職種の募集が掛かっていたことを知っていたのだ。何故、経験のある希望職種で募集があるのに、ほぼ未経験の仕事が私に回って来るのか…。
 電話をかけて来たのが、今までで一番マナーを弁えた人間であったというだけましであった。彼は業務案内をする時点で、「ご希望の職種とは異なりますが、事務職に興味はないでしょうか?」と前置きしたのであった。当たり前のことと言えば当たり前のこととも言える。しかし先の二件が酷かった為、随分きちんとした印象を受けた。
 結局、再び断ったのは、職種という条件に限らず、いずれも私が目指していた四月からの勤務開始を有に越した、年度半ばの採用だったのが理由とも言えた。勿論、年度半ばであっても仕事が見付かれば始めるつもりだ。しかし〝この組織に於いて〟、〝アルバイトとして〟働くには、私にとって有益とは言えない。
 四月勤務開始を目指して募集職種に応募したにも関わらず採用されなかったのは、縁が無かったからだという諦めに繋がったが、同時に、この組織で必要とされる人材として評価されていない自分という存在を、身に染みて受け止める必要があった。決して楽とは言えないその作業を終え、ここ数日、希望職種を廃業する覚悟で、ずっと前だけを向いていたのである。
 しかしこの日、私は原因不明の疲労と、溢れ出す悲しみに押し潰されそうになった。よくよく考えた結果、不本意なアルバイト斡旋の電話が原因で、幾度となく踏みにじられた自尊感情と自己肯定感を、再び同じようにメッタ刺しにされたような気持ちになったせいだと気付いた。
 因みに自尊心とは、次の事を言うらしい。
◎自己に対して一般化された肯定的な感情
◎自分の人格を大切にする気持ち
◎ 自身の思考、言動に自信を持ち、他からの干渉を排除する態度
 
 人間、自尊感情と自己肯定感さえあれば、生きて行けるのだと知り合いの心理士が言っていたが、どちらもズタボロである。まぁ、こちらが打ちのめされているなど露知らず、組織にとって、応募登録された人材とは、餌に食いついて来た貯金のようなものであって、採用担当はその人権など、考えもしないのであろうが…。

 

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