人の話をきく②

 当日、集合場所の店を通り過ぎて迷子になったらしい私は、元の道を戻りながら歩いているところで、自転車に乗ったNさんと遭遇する。Sさんは既に店の前で待っていた。
 二人は顔を合わすなり、再会を喜ぶ間もなく、私の知らない人のことらしい、誰かの話を始めた。私もわざわざ尋ねなかったせいか、ひととき蚊帳の外であった。
 席について飲み物を頼む。乾杯!二人にとっては慣れた店だったようで、メニューから次々と好みの物をピックアップする。勝手もわからなければ、好き嫌いも無い私は介入せず、二人に委ねる。
 料理をつまみながら近況報告をした。
 毎日昼夜逆転でだらだらしている私と違って、Sさんは既に、難しい資格を取るために専門学校に通っていた。その資格はNさんの職業に共通するものらしく、私にはちんぷんかんぷんな内容も、二人には意気投合の題材であった。
 目標を失って心機一転したく、それまでの専門職を捨て、事務職での就職先を探していた私に、二人は呆れたようであった。
「事務するなら、正規で働くことは考えん方が良いな」
 Nさんは言った。
 経験のないことをしようとするのに、勉強不足では通らないと言いたかったのだろう。尤もである。
 しかし、同じ仕事をしていて方向転換し、事務職として正規採用されてバリバリ働いている人間が、私の周りには何人もいた。だから私にも可能性がないとは思わなかったのだが、私は真っ向から力量を否定されたような気がして複雑な思いが燻るのを感じた。
 二人とも、キャリアを重ねてきた自分達の仕事に誇りと自信を持っていて、それ以外の道へ逸れるつもりはないと言う。そう思えるのは素晴らしいことだったが、私は幾度も挫折を経験した上で、いかに好きで遣り甲斐を感じる職業であっても、続けたいと思える職場が無ければ続けていくことは難しいと感じていた。自分では逃げたつもりも放棄したつもりも無い。唯、希望の持てない仕事に拘るより、自分に適した他の仕事や職場に、新たな希望を託す方が有意義だという決心に至ったのであるが、幾ら説明したところで、二人には理解してもらえなかった。
 雲行きが怪しくなっているような気がした。私は辞めた仕事の話をするつもりはなかったが、話は何故かそちらへ進んでいった。
 Nさんの近況を訊くということは、必然的にSさんと私が辞めた職場の話になるということであったから、もしかしたらきっかけを与えたのは私だったのかも知れない。話題は私が居た部署の悪質さへと及んだ。
 謎の多い部署で、新人だった私には理解出来ない事が満載の場所であった。常識とは思えない常識が罷り通り、権力主義、経験主義が横行していた。「カラスは白い」と強者が言えば、それが法律となる職場。チームプレーを賛美しながら、それぞれが自分を一番正しいと思っていて、右も左も判らぬ新人相手に、それぞれが自分以外の人のやり方を批判する。しかし会議などの場では誰もがそういった話題で議論することを避け、それ以外の議題で与えられた所要時間を毎回オーバーしては、業務のフォローに来ているSさんや、Nさんの部署の他のスタッフに迷惑を掛けた。
 私が〝おかしい〟と感じていたことを、SさんやNさんはもっと以前から感じていた。酒が入って感情が高ぶる。怒りの根は深いようであった。
 やがて矛先は私自身へと向かい始める。転職を繰り返し、その都度何かしら〝しんどい思い〟をしてきたと言う私に対し、二人は揃って説教を始めた。酔っぱらっているようではなかったが、完全に指導者の顔になっている。私は脅威した。
「悪いことを引き起こしているのはあんた自身かも知れへんで。その根本を見つめ直さんな、これからも同じこと繰り返すわ」
「大人って何よ。大人のハードルが高すぎるん違う?皆が皆あんたが考えてるような大人ばっかりちゃうで」
「古い考えが常識になってるところで、新しい人間がおかしいと思うことをちゃんと言わんと、何も変わらん。それがあんたの役割やったのに」
「一年目やねんから嫌なことばっかり押し付けられても、仕方ないと思ってやり続けなあかん。あんたは我慢が足りんわ」
「人に期待し過ぎやねん。自分が相手に不快感与えんように気を付けてるからって、相手がそれを同じように返すのが当たり前と思ったら大間違いやで」
 何を言っても無駄であった。私の説明も意見も聞く耳さえ持たないばかりか、すべてそれぞれの自論によって覆す。素直だとか真面目だとか、長所とも取れるようなことを短所として指摘を受ける。長所と短所が表裏一体であることぐらい理解はしているが、迷うばかりでなく、ようやく受け入れ、納得していたことさえ否定された。しかしアドバイスを求めれば、〝自分で考えろ〟ということなのか、二人が二人とも同じことを言う。
「さぁ…それは私にはわからんけどな」
 私は此処に何をしにきたのだろう。わけがわからなくって、思わず懲りずに訊ねる。
「じゃあ、私…どうした方が良いんやと思います?」
 Nさんは腕組みし、真顔で見据えて言った。
「もっと人の話ちゃんときいた方が良い。おかしいと思っても、反論せんと一旦心で受け止める」
 過去に何度か言われたことのある言葉であった。
 人の話をきく…。聞いていない自覚はまるで無かった。それどころか、初めてそんな風に言われた時、酷く傷付いたせいで、かなり気を付けていたはずだった。しかし他人からしてみれば、私は〝人の話をきかない〟人間ということなのだろう。意識的に気を付けていたことを、これ以上どうすれば良いのか、まるで解らなかった。
 更なる議論の余地もなく、そろそろ日付が変わろうとしていたこともあって、この日はお開きとなった。自転車で去る二人。駅へ向かう私…。別れ際、Nさんが言った。
「じゃあ、事務職探すの頑張ってね」
 あんなに気持ちのこもらない言葉を聞いたのは久しぶりな気がした。私は完全に蔑まれたようだった。

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