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絶滅した日本のオオカミ ブレット・ウォーカー


「進化のちょっとしたねじれによって人類が地球という資産を継承していなかったならば、それは確かにオオカミのものとなり、そしてオオカミはおそらくもっとよい管財人となったことだろう。」


ニホンオオカミ。
かつては日本にいたという幻のオオカミ。
そんなケモノは本当にいたのか、そしていったいどうしていなくなったのか。
誰も知らないうちにニホンオオカミは、ヤマイヌ(オオカミとイヌの合いの子?)になってたのやもしれないよ?
幻のニホンオオカミの正体と、絶滅の原因を探る歴史ミステリーな学術書。


「狼(オオカミ)」と「豺(ヤマイヌ)」を比べた昔の絵が面白い。
「ヤマイヌ」はぼくらが知ってるイヌのように楽しげだ、尻尾は上向きで飛び跳ねてる。
対して「オオカミ」は尻尾を丸め込み、耳を寝かせ、どう見てもビビっている。

これぞ、イヌとオオカミの違いがよくわかるってもんだ。
そう、オオカミはビビってる。まるでポウくんだ。
むかしむかし、彼らはものすごく臆病だからこそ人から隠れてひっそりとお山で神として暮らしてたと。

いつからニホンオオカミが純粋なオオカミじゃなく「犬化」したのか?



「古代の日本人は、オオカミを都の外の神々しさと危険が同居する場所に置き、帝の伝説とともに、神道・仏教というレンズを通してその像を描いた。自然現象つまり神(ニホンオオカミはオオカミ、つまり発音でも大きな神だ)を崇めた神道の伝統は自然の景観のなかに住み、自然世界を遠野の物語と遺風に保たれているようなある種の精神生活に満ちた神の場所と見なしていた。」

むかしむかし、日本には里とお山とがあってな、「里」は人の住むところ、「お山」は神様の住むところじゃった。
ゆえにじゃ、人と共に里に住むのをイヌ、神様としてお山に住んどるのがオオカミじゃ。

そう、オオカミは「大神」、神様だったんだ。

もともと農耕民族なニッポンジン、シカやイノシシを狩ってくれるオオカミを神様としてありがたくも、恐れていたし、人間界と神界、ちゃんと棲み分けができてた。

面白いのは平安時代、京の都にオオカミの恐怖話がちらほらあってさ、バリバリ人が喰われたらしいけど、オオカミもさ、お腹がすけば死体だって食べるのだから、住処のすぐ近くで「肉」の臭いがしてりゃ喰いたくなるってもんだよ。
死体を喰うなんて気味悪いって?なんで死んでるやつを喰っちゃいけないんだい?
ぼくら人間様だって毎日死体から取った肉をばガツガツ喰ってるじゃないか。

そもそも「京都」といのがもともと山を開発して作られた都で、すぐそこに深い山々があったと。
なんだってそんな山をわざわざ開発したかって、都というのは豪華な建物を作るために大量の木材を必要としたため、山を切り崩してその場で作るのが一石二鳥だったと。
神の世界である山と近すぎたため、ケモノにも襲われやすかったという。
そういうことに早く気がついてお山を放っておけばよかったんだ。
でもさ、反省・学習しないのがニンゲンだもの、悲劇は繰り返されるよ。

ところ変わって、北海道のアイヌたちはニッポンジンとはちょっと違う。
彼らはそもそも狩猟民族で森の中でオオカミと共に暮らしていた。
自分たち(アイヌ)は白いオオカミと女神との子供である、もしくは、レタルセタカムイ(白い狼神)と一人の女性の子供である、と。
ネイティブアメリカンみたいだ。


「私の仲間の
オオカミたちが
たくさん出て来て
今日一日一緒に走ろう
一緒に遊ぼう
オーオオーオオオーオオー」


アイヌの神謡、ホロケウカムイのお話。
オオカミたちについていったために、ホロケウカムイは主人に薪で打たれて殺され、ゴミの山に捨てられた。


「私は気づいた
そこで私は
腹が立つ心
腹が立つ気持ちに
私はなった」


ぼくも、腹の立つ気持ちになったよ。

この話はジャック・ロンドンの「白い牙」に似てる。
主人の元に戻ると棍棒で打たれるのにまた戻ってしまうのだ。


そうして、「ニッポンジンの心」、全てが壊れたのは、明治だ。

「日本人は新しいオオカミ像を形成し始めた。それは、罠・銃・毒そしてダイナマイトさえ使って、神の逆襲もなく一まとめに殺されてしかるべきものだった。」


鎖国が終わり、西洋文化が入ってくると、肉食と開発が勢いを増す。
「欲」に取り憑かれた黄色いサルどもは赤いサルの言いなりだ。
人間様が自然を支配する!と息巻きやがる。
肉を取るため、シカやイノシシを狩り、馬の飼育のため、山を切り開く。
獲物が減って腹をすかしたオオカミどもは狩りやすい馬を喰らい出す。

さらに狂犬病が、神様を「狂った神」に変えちまった。オオカミに襲われる人続出、こりゃあ放っておけねえ!と、「大神殺し」に拍車がかかる。

何でもかんでも「オオカミ」って言ってるけど、この時点でこれらの動物が純粋な「ニホンオオカミ」なのか、はたまたオオカミとイヌの雑種である「ヤマイヌ」なのかもわからない。オオカミにしては頭蓋骨が小さすぎるって噂だけど?

そんなことは気にしない黄色いサルどもは、赤いサルの入れ知恵に乗っかって「オオカミ=悪魔」の思想のもと、罠・銃・毒、懸賞金までかけ、彼らを殺しまくりだ。
妊娠中のメスの腹を裂き、生まれたばかりの子供たちも皆殺し、って、どっちが悪魔だよ?


神は、死んだ。


オーオオーオオオーオオー。
泣けてくる。
そう、ニホンオオカミ(ヤマイヌ)とエゾオオカミ、みんな殺した、一匹残らずだ。
絶滅に追い込んだのは、日本人の心変わりだ。
西洋文化を取り入れていい気(言いなり)になったってもんだ。
ニッポンジンは神を貶め、敬いと恐るれ心を無くし、欲のためにオオカミたちを殺した。ホロケウカムイも殺した。

「ゴールデンカムイ」みたいにレタラが繁殖してくれればよかった。。。
これら残酷な神殺しは、ぼくら、無知で傲慢なニンゲンの仕業なんだ。
「もののけ姫」がよく語ってる。




日本全土において、オオカミは、絶滅した。
否、ぼくらニンゲンによって、絶滅させられた。



イエローストーンのようにオオカミの再導入を考える人もいる。
でも、どうだろう。

今の日本において昔のように彼らを敬い共に暮らすことが可能だろうか?

彼らのように美しく神秘的な生き物を、「血に飢えた野獣」でも「キャワユイモフモフ」でもなく、「大神」として恐れつつもそっとしておけるだろうか?

「信仰」。
ぼくは今までそういった古臭いものをどこか馬鹿にしてた。
霊的なもの、目に見えない、よくわからないものをだ。
この科学の世界にどっぷり浸かった脳髄でそう言ったものを心から尊敬し、崇めるのはなかなか難しい。
ぼくらは暗闇(目に見えぬもの)を恐れなくなってしまったのだ。

信仰による「恐れ」は人間の欲を押しとどめ、分別を知らしめた。
人は、「闇」を恐れた。
人は、「山」を恐れた。
人間の能力的にうまく活動できないようになっているのだから、本能的にそれを避けた。
「怖い」という原始的な感覚だ。
それが「結界」、神(見えないもの)の意思だ。
それは人智を超えたもの、人の力が及ばないものであると。

ケモノはケモノで人間を恐れ、避けた。
たまに里に降りてくるとたいていひどい目にあったろうから。

そんな人間とケモノとが共に暮らせる世界はもう、ない。
「結界」は壊されてしまった。
山を削り、闇を消すことに成功した強欲な人間どもは、アイヌやネイティブアメリカンにしたように、今まで踏み込めなかった「神の領域」を侵略しだした。

そしてこんにち、地球のほぼ全域を領土にしちゃったもんだから、哀れなケモノ(神)どもの住む場所なんてもうどこにもない。
こっそり暮らしたくたって、すぐさま見つかって大騒ぎだ。
「人喰いオオカミ」だとか、「人喰いグマ」だとかいうけど、いちばんなんでも貪り喰ってるの人間様だからね。

まあしょうがない、独裁者・人間様が地球を喰い尽くすのも近いんじゃ。


日本の歴史どころか、日本地図もわかってないぼくは思った。
(昔の)日本て面白い国だよね。徳川、サイコー。

神の住む国、人間の入り込めない深い山、そこでうまい空気がボーボー作られ、キレイな水がジャンジャン湧く。

人間の住む国、江戸、世界最強の完全エコシステム都市。
うんこも無駄にしない、自然に帰らないものは何一つない、全てが完全に循環してる。
なのに(だから)清潔!
当時、世界最高の人口を誇ったが、クリーンでいい匂い、サイコーだ。

「生類憐れみの令」、これも面白いよね。
これも仏教的な思想から来てるらしいけど、なんでも綱吉の息子が4歳で死んでしまったのが何かしら輪廻的な呪いであると、で、悔い改めるために殺生をしないという。
しかもね、自分だけじゃなく、国民全員に強要するという、虫も殺しちゃダメだからね!すげーよ、ほんと。
ある男なんて、犬に襲われた息子を助けるために犬を殺しちまって、島流しの上、息子ともども投獄され、結局息子は獄中で病死するっちゅう、悲惨だ。
でも、そこがすごい、「人間様」の命より、「おイヌ様」の命の方が重いと。今じゃ考えられない法律よ。


ぼくは、思う、ニッポンジンは面白くも素晴らしいものをなくしてしまった、って。
また、徳川の江戸になれるなら、ニッポンジンもまた、オオカミと暮らせるかもね。

「…そんなすばらしい性質を持っていたのに、私たち人類の欲求に直面したとき、彼らは常にたいへんもろかった。…彼らにその縄張りから立ち退けと告げたとき、彼らはワンと鳴いて、お座りをしようとしなかっただけなのである。」







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