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もしかして:位置人称

 暇つぶしに性格診断をしたら、自分はウサギ型だった。独自の世界観を持つ理想主義者だそうだ。座右の銘は現実逃避で、特技は正当化なのであながち間違いではないけれど、不思議と褒められた気がしない。絶対語尾に(笑)がついている。

 時に、独自の世界観ってなんだ。
 このフレーズは『芸術家肌』とか『唯一無二』とか美しい言葉と一緒に並びそうであるがちょっと違う気もする。大学で意気投合した3人だけど、自分だけエスカレーター式に入学してる場合くらい違う。違和感の正体を探るべく、思考の海をアームヘルパーをつけて揺蕩った結果、ひとつの答えに行き着いた。

役割を演じている。

 家族、友達、恋人、職場、学校、はたまた初対面。

 それぞれの場面で、それぞれの自分が並行して存在する。多重人格ほど強制的ではなく、フォーマルかカジュアルかというほど単純ではない。

 一人称がわかりやすい。
  職場では「僕」で、友達の前では「俺」で、家族の前では「私」。ネット活動では「僕」率が高い。どの自分も性格が違って、寡黙なはんぺんもおしゃべりなはんぺんもいる。勝手にコミュニティごとに配役をして、お芝居を課している、劇団ひとりだ。誰に頼まれたわけでもなく、長らく自分はそれぞれの一人称を使い分けていて、きっと各コミュニティ同士が交わることを恐れてきた。たとえば、家族の前で「俺」って言うのは試着室を裸で出るよりも恥ずかしい。爆ぜてしまう。

 実は、最近はこのとっ散らかった自分の分身をまとめる作業に入っている。理由は簡単、疲れたからである。それぞれのキャラクターが長生きしすぎて管理が難しくなったし、生きづらくなった。役柄からズレたらダメだ!というプレッシャーもしんどい。だから少しずつ「僕」と「俺」と「私」の距離を詰めて、最終的には一つに集約させたい。尖っていた人間が丸くなるのとは違うんだけど構造は同じだ。もうよくない?って感じ。

 この作業を完遂したら、ご自慢の独自の世界観は崩壊してしまうのだろうか。その残滓は羽毛みたいに舞うのか。どの立ち位置の自分が生き残るのか。ウサギだから月かもしれない。動物園のふれあいコーナーかもしれない。全然知りたくないけど、どうしたらいい。

 せめてそれぞれが得てきた経験や見てきた景色が上手くまとまればいいな。

 対消滅とか、しないでね。

2024年1月17日深夜 自室にて 肩が滅茶苦茶痛いです、冬。

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