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夏のリビングデッド

 back numberが『偶然や夏の魔法とやらの力』に縋って、クリープハイプが『夏のせい 夏のせい 夏のせいにすればいいからさ』と免罪符にした、この季節は問題児である。

 春夏秋冬の中でもなぜかこの季節には焦りを感じる。もうこの年齢での夏は二度と来ないのだ、と毎年思う。勿論春も秋も冬もそうなのだけれど、夏だけは特別である。

 僕みたいなツイストドーナツ並みのひねくれ者は、『俺はこういう人間だ』という宛らビッグダディのような強いこだわりがあって、それに則って生きている。そしてそのこだわりなんてのは大抵、天邪鬼が引き起こしたティッシュほどの厚みのこだわりだ。わかりやすく言うとこんな感じ。

「はぁ?春?恋の予感?だせぇだせぇ、がっつきすぎワロタ、俺は散って川に落ちた桜を眺めていた方がときめくわ~」

アタイ、イタイ

 だけども夏。お前だけはダメだ。激しい光量を前に僕の天邪鬼は瞬く間に目を焼かれて去ぬ。あれだ、セール期間によく似ている。自分が動けば手に入ったのに、乗り遅れたせいで売り切れて悔しい思いをするあの感覚。

 みんなと海で泳いだり、右だ左だとスイカ割りをしたり、いわゆる『満たされた夏』のイメージが強過ぎて憧れを誤魔化しきれない。

 中学生くらいからずっとそうだ、水着の形に日焼けをした友達とはんぺんのように白いままの自分の肌を見比べては焦りを感じて必死に藻掻いてきた。

 ひねくれ者が『普通』や『憧れ』と真正面から向き合わなければいけない唯一の期間。じりじりとトースターみたいな音を立てるセミの鳴き声も良くない。「おいおい、もう8月も半ばだぞ?大丈夫か?」とプレッシャーをかけてくる。お前はいいよ、夏の7日間で死ぬなんて超エモいよ。ベランダでテキトーなサンダルを履いて、彼女かどうかもわからないちょっとセンチメンタルな女とビールを飲んで、「あー、ちょっと酔ったかも」「ここから落ちたらこのまま、夏と一緒に死んじゃうのかな」「あたしが死んじゃったら悲しい?」と今の2人の関係を確かめようとする言動に(…クソだるいなコイツ)と思いながらも「なにそれウケるね」と何の答えにもなってないままセックスをする、ライブグッズが女子大生受けだけ狙っているようなロックバンドのMVくらいエモいよ。

 けれども、藻掻いたところで『普通』を『普通』にこなしてきた人とは雲泥の差がある。所詮僕の藻掻きなんて取り急ぎに過ぎなくて、どういう風の吹き回しか久しぶりに母親が買ってきたTシャツくらいダサい。

 それでも夏の土俵にあがって正々堂々勝負しなければならない。海を見に行くし、日焼け止めを塗り忘れたりもする。そして誰かと振り返りをして「最高やな」と褒め讃え合った後に、次の夏に照準を合わせる。
たまには『普通』も悪くないな、と名残惜しくなるけれどやっぱり徐々に元のひねくれ者に戻ってしまう。

 こうして夏のリビングデッドは、地味ハロウィンのようにさりげなく始まり、さりげなく終わってゆく。


2023年8月7日深夜 自室にて、快晴の日って目が痛くなりませんか、夏。

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