わたしの本棚『薔薇は生きてる』
カバーイラストの愛くるしさよ。1935年の初版以降、版元を変えながら何度も復刊されてきた(んですって)『文學少女のバイブル』(なんですって)が21年ぶり(なんですって)に創英社から刊行されたのは2008年のこと。わたしは今も昔も文學少女といえるほど文学方面の活動に活発ではないのだけれども、時折なんらかのきっかけで読書欲が爆発するかわいいもの好きの軽率な少女なので(今も昔も。ええ、今も昔も。)、当時ブックマークして更新を楽しみにしていたブログで「いちいちかわいい」と紹介されている記事を読んですぐさま書店に駆け込んだ(意訳:Amazonで注文した)。今も昔もAmazon様にはたいへんお世話になっております。注文履歴によると、2008年の11月に三浦しをんさんのエッセイ2冊とともに購入したらしい。かわいいもの好きの軽率な少女はおもしろいもの好きの軽率な少女でもある。買ってすぐに一度さらっと流して読んだきり、寝かせに寝かせて今回実に15年ぶりの再読。生まれた子が義務教育を修了するほどの熟成期間を経て、薔薇は生きてた!
肺結核のため16歳の若さで亡くなった山川彌千枝(1918年1月8日 ~1933年3月31日)の遺稿集で、8歳から亡くなるまでに書き綴られた散文、短歌、日記、書簡、絵などが収録されている。なるほどつまりこれは彌千枝のnoteである。
裏表紙にも掲載されている散文の一篇。病気が楽になったら歌に作ってみたいと言って母親に書かせておいたものだそう。言葉選びのセンス。伝える温度のちょうどよさ。過不足なく構成された文章の心地よさ。学びしかない。一方で、娘から聞き取って書き留めた母親の気持ちを思うと…胸にせまるものがある。
彌千枝は亡くなるまでの最後の2年間、ほとんどの時間を寝たきりで過ごしており、いつか多くの人に読まれることになるなんて夢にも思わず書いていたと思われる日記には、不安やいらだち、寂しさや諦めの気持ちもたくさん素直な言葉で綴られていて、それはもう抱きしめたくなるほどのいじらしさ。そして、メロン(彌千枝の好物だそう)がおいしかった、友達が遊びに来て嬉しい、読んだ本が面白かった、もらった贈り物が美しい、といった幸福なできごとの記録、それがなんともまあ「いちいちかわいい」のだ。たとえば。
ほらね。彌千枝はもう全国民の妹であり、娘であり、お友達である。日記でこんなに心を持っていかれることがあるかね。『クラルテ』のお話を聞かせておくれよ。「おいも」で浮き沈みの激しかった一日を平和にまるめるセンスにはかなわない。
親友の佐々木文江さんへ宛てた手紙は、黒柳徹子さんが憑依したのかと思うほど饒舌で、これがまたとんでもなくかわいらしい。伝えたいことが溢れて溢れてどうしようもないといった弾けるおしゃべり(手紙です)がやかましくてとびきりキュート。彌千枝が今にも本から飛び出してくるんじゃないかと思うくらいに言葉が生きている。満島ひかりさんに朗読して欲しい。彌千枝からの手紙に佐々木さんがどんなお返事を書いたのかを想像するのもまた一興。ぼんやりと宮本輝さんの錦繍における令子の気持ちを想う。ふたりでやりとりした手紙ほどその関係を生々しく映し出すものはない。
歌人である彌千枝の母親柳子によるあとがきが美しくて切ない。彌千枝が書き残したものに柳子はどれほど救われただろう。柳子に「この子にもっとしてあげられることがあったのでは」と自責の念を抱かせたのもまた彌千枝が書き残したものであったのだろうけれども。
15年以上も寝かせておいてどの口が、という話なのだけれど、読む前と後とで見える景色がまったく変わってしまうような奇跡みたいな一冊だった。彌千枝にもnoteがあればよかったのに、と思いながら久々にnoteを更新するなどしている。好きな時に好きなように書いたり読んだりできることって、なんて贅沢なことなんだろう。また近い将来に復刊されて、彌千枝の書いたものが誰かの心を潤してくれたらいいなと思うし、佐々木文江さんへ宛てた手紙の黒柳徹子さんっぽさを誰かに共感して頂けたらいいなと思いながらそっと筆をおきます。かしこ。
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