せきらら自己紹介
はじめまして、ベトナム妻です。
今回、初めてブログ始めます。
〜こんな投稿をしていきたい!〜
私の挑戦してきたことや経験をもとに、英語ができなくても海外を舞台に仕事する方法、学歴なくても上手に生きていく方法、国際結婚事情のあれこれ、ベトナムの生活情報などなどを紹介していきたいと思っています。
そのために、
まず最初に私がどんな人間なのか自己紹介させて頂きます。
〜芸能界に憧れてた〜
勉強嫌いな中学時代の私は、「義務教育が終わるのに、なぜ高校に行く必要があるのか?」と親に反抗していました。
当時は受験勉強をしたくない一心で京都の舞妓さんを目指しましたが、世界に80人程度しかいないとされる舞妓は、厳しい現実にリタイアする人が多く、「失敗したらただの中卒!」と母に猛烈に反対され、幼少期から興味のあった芸能界入りにシフトチェンジして高卒(同等)資格も取得できる芸能学校に入学しました。
芸能学校では毎日、歌やダンス、演技などの実技授業を中心に3年間を過ごしました。
ちなみにこの学校、数学•理科はありません。
芸能界で売れるには、異常すぎる自己主張と一般離れした生活行動が必須に思えた私は、当日までスケジュールがハッキリしない生活に我慢ならず、この道をキッパリやめました。
〜接客業の道に進む〜
高校時代にハマっていたバイト「マック」に魅了され、接客の道に進もうとあらゆる専門学校の体験授業に参加しました。
「英語使って海外でホテルマンやってたらカッコ良いゎ〜」と思い、ホテルに興味を持ち始めたら、豪華客船(日本でいう飛鳥Ⅱや日本丸など)の存在を知り、「世界中めぐりながら接客できたらマジ、カッコ良い!!」と思い、日本外国語専門学校の観光学科マリンクルーズ専攻へ進みました。
〜英語ムリ、47都道府県すらわからず〜
進路を知った友人や知人にまず言われたのは、「英語話せるんだ〜」「地理得意なんだ〜」という勝手なイメージでした。
芸能学校で勉強もせず、歌って踊っていた人間ができるわけがない!!
英語と接客技術、地理などを学ぶために入学したんです。
しかし、2年間通うもののTOICEは400点未満、地理は47都道府県の位置が定まる程度で、国はほぼ知らずのままでした。
勉強となるとどうにも努力できず、就活を乗り切る自己アピール力だけが成長しただけでした。
〜はとバス入社〜
よくメディアにも特集されるはとバス。
芸能学校で過ごした日々も、接客業を学んだ日々もよく活かされたお仕事でした。
しかし…
一見華やかですが、60年?ほどの歴史を刻む会社は、ドライバー、ガイドの現場のみ古い体質が変わらない息苦しい環境でした。
「宮城県を任されるようになるまでに8年」
教官の一言に「長っ!!」と思い、「海外行きたーい」と、わずか1年で退職しました。
〜4ヶ月のフリーター時代〜
「海外巡るならやっぱりCA!!」と考えた私は、ANA目指して英語の勉強に専念できるよう国際線羽田空港のレストランでフリーターをしながら、よく食事に来る航空会社のスタッフたちの会話を盗み聞きして情報を集めていましたが、「フリーター生活苦しいし、愚痴ネタばっかだな。」と、この生活に飽き飽きして転職活動始めました。
〜JRグリーンアテンダントに入社〜
専門学校の友人に誘われ、採用試験に挑んでみたところ、はとバスのネームバリューも効いたのか入社でき、お仕事開始!!
東京から久里浜や成田空港、熱海方面を行き来する仕事は単純なものの、乗客からストレス発散の的にされることも多く、人手不足から月の残業時間200時間超え…笑
過労で自殺する人の思いを体感してしまったので退社しました。
〜添乗員になる〜
やっぱりTOICEの点数400点未満からは脱却できず。
更に、当たり前ですがCAの採用試験も尽く落ちたので、手っ取り早く全国、海外行ける添乗員に応募。
いつでも人手不足の安定しない季節労働者なので、来るもの拒まれずで入社。
バス、新幹線、飛行機の順にステップアップして国内添乗で全国の美味しいもの、観光地を堪能しました。
〜海外添乗員にキャリアアップ〜
海外添乗員になるための英語試験に挑み、英語力ではなく度胸で合格。
専門学校のマリンクルーズ研修以来、海外に渡航したことはなかったために、空港でのチェックイン手続きから意味不明…笑
指導者に質問攻めの末、なんとか海外添乗員に必要な国家資格「旅程管理者主任資格(総合)」を取得(2日間講習受ければ受かります。)して、先輩とカンボジアツアー同行を達成しました。
〜なりたい自分になれた〜
相変わらず英語ペラペラにはなっていませんが、海外を巡って仕事をする日々を手に入れました。
カンボジア、ベトナムから始まり、台湾、オーストラリア、ハワイ、タヒチ、パラオ、シンガポール、エジプトツアーに同行。
それなりにお客様から高評価を得られていたので、常に仕事をもらうことができるようになっていました。
国内ツアーでも外国人を相手にするインバウンドを任されるようになり、英語を使って仕事をするようになっていました。
幼少期からずっと家族からも友人からもバカと言われ続けていましたが、この頃には人から「バカ」と呼ばれることはなくなっていました。
〜ベトナムで恋に落ちる〜
海外添乗は数日を色濃くガイドと共に過ごすことが多いです。
ツアーを担当する現地ガイドさんは、努力家で人気ガイドであることが多く、特に東南アジアは外国人を相手にする(特に日本人)ガイドはエリート職です。
男性はとても魅力的で、ベトナム人ガイドに恋をしました。
〜ベトナムへ渡航〜
幼い頃から「結婚したい!!」と思っていたので、日本に来ることが難しいベトナム人に恋したなら…とベトナム移住を決意しました。
情報を集め就職先を決め、ベトナムへ渡航しました。
〜まんまと逃げられる〜
日本語教師としてベトナムでの生活が始まりましたが、ベトナム人たちの姿を垣間見て、3日目にして相手は遊びであったことを確信できました。
連絡もとれず、会うこともなくキッパリと諦めました。
〜突然のプロポーズ〜
私が入社した2週間後、技能実習を終えたベトナム人が福岡からベトナムに帰国し、同じ職場に入社してきました。
ほぼ話すことなく2週間ほど経った夜、上司との夕食で一緒になり、いきなりデートに誘われ、夜の観光地、ホアンキエム湖を散歩した後、カフェでいきなり「結婚してください!」と言われ、「はい」と即答し、その1〜2週間後には彼の故郷で親族数十人と食事をし、ご近所に挨拶回りしてました。
日本側両親にはフランクにLINE電話で結婚する報告をして反対されることもなく手続きを進めていくことになりました。
〜婚姻手続きと転職〜
結婚してベトナムで生活するにあたり、自分がベトナムで不法就労疑惑であることを生活していくうちに薄々気づき始め、転職。
人生初のホワイト企業に入社することができました。
日本側とベトナム側、両家に多大な協力を経て、約5ヶ月かけて婚姻を成立させました。
〜ベトナムで出産後、9日で帰国〜
金銭的困難からベトナムで出産を決意。
検診では異常なしだったにも関わらず、出産時になって超難産。
ベトナムで2日間かけて緊急帝王切開で出産しました。
4日目で退院し、タクシーで2時間かけて故郷まで帰り、ベトナム側の親戚にお披露目、9日目に日本に帰国しました。
ベトナムに来ていた母とベトナム人夫が兄の結婚式に出席するために強行突破に至ることとなりました。
※体に負担かけ、多くの人に迷惑かけます。真似しないでください。
〜現在、コロナで生き別れ状態〜
今年の2月末に一時帰国。
夫は先にベトナムに戻りましたが、やむなくベトナムの鎖国が始まり、その後、日本も外国人の受け入れを拒否して生き別れ状態となりました 笑
1日に2〜3回、テレビ電話で再会できることを願って家族の絆を深めてます。
〜最後に〜
夫はyoutuber始めました!!
現地の生活やハノイでの生活に役立つことを随時アップしていきます。
是非、チャンネル登録よろしくお願い致します!!
↓↓↓
https://www.youtube.com/channel/UCyjZJHKkE7FgNyklWtjNcvw
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