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西川材について No.83

こんばんは、飯能高校 探究部のHiDEです。

前回のnoteの記事で「飯能のとある景色」を書いたところ「スキ」をたくさんいただきました。とても嬉しかったので今回も飯能の景色を探しに行きました。

ところが探してる途中で伐採された木が積み上げられているのを見つけました。これが気になってしまったので、今回は「西川材」について書きたいと思います。

少し前、祖父に飯能高校探究部のnoteで飯能について調べていることをLineしたら返信がありました。祖父からのLineをそのままコピー&ペーストします。

飯能といえば、地場の西川材をふんだんに使った市立図書館がオープンしたというのを新聞で見て、おばあちゃんと見に行ったよ

でかい!
(ちょっと写真ではわかりませんが。)

祖父がそうに言ってたことをふと思い出し、ある日の帰り道に祖父に電話しました。

「西川材って有名?」

「有名だよ、昔は切った木を運ぶのに入間川で流してたんじゃないかなあ」
そんなことを話しました。

電話を切ってしばらくしたらLineがきました。

「西川材のいわれ。江戸では火災が多発して、木材が足りなくなると、入間川を使い、名栗村からいかだ(筏)で大量の木材を運び入れた。その材木(木)は、江戸の西の川から運んだことから、「西川材」と呼ばれるようになった。以上、ネットで検索したら書いてあったよ。」

飯能は林業、西川材で栄えたことがわかりました。

今回は、祖父に聞いたり調べてもらったことを書いたのですが、家族や色々な人に飯能のことを聞くのも良いなぁと思いました。


〜顧問のつぶやき〜
探究部のHiDEはすごく良い感性、視点の持ち主です。そんな彼が今回は彼のおじいさんに飯能の西川材について聞いてくれました。

何が嬉しいかというと、HiDEが家族にもこの飯能高校探究部のnote記事のことを話してくれていることです。そこには「飯能」やこのnote記事が一種のコミュニケーションツールになっています。

他の探究部員もこの探究部のnoteのことを家族で共有しているようで、家族から有益な情報を得たり、協力してもらっています。それがとっても嬉しいです。

いろんな人に直接関わるとネット上では得られない情報が得られたり、何より想像もしなかったことが生まれます。

HiDEの記事を読みながら、やっぱりこのnoteは続けていきたいなぁと感じました。



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