上野千鶴子氏座談会のセックスワーカー差別炎上とかがみよかがみコミュニティの雰囲気について(上)

朝日新聞社運営のWebメディア『かがみよかがみ』での2019年11月20日に発表された上野千鶴子氏との座談会企画記事が、セックスワーカーへの侮蔑と取れる表現で問題になりました。


本来は『かがみよかがみ』の中で完結させて書くのが筋だと思いますが、やむを得ずnoteに投稿させていただきます。上野千鶴子氏のセックスワーカーに関する発言での炎上を踏まえて考えたことを書きたいと編集部に申し出たのですが、その提案は断られたからです。

この文章はあくまで個人的見解であり、座談会参加者・及びかがみよかがみユーザーを代表するものではありません。

問題点や批判など、指摘してくださると嬉しいです。多くの方のご意見をお聞きしたいと思っています。

加害者側ということを自己認識しながら、炎上の渦中にいた人間としての所感を述べさせてください。

謝罪したい、そして学ばなければと思った

私が辛くなる権利などないのは承知なのですが、顔の見えない不特定多数に批判されるのは少々堪えた、というのが正直な思いです。編集部と上野千鶴子氏に対する批判が主でしたが、もちろん参加者に対しての言及もありました。「上野千鶴子のファンミーティング」「セックスをあけすけに語れる私たちすごいという勘違い」という批判や、「この企画に関わった全員を心の底から軽蔑する」というTweetに対する同意が散見され、怒りの言葉にどんどんいいねとRTがつき、広がっていくのは恐怖でしかなかったです。しでしかしたことの大きさに震えていました。

それに加えて、多くの顔の見えない誰かの尊厳を奪うようなことをした、という事実に自分自身が傷ついたのを覚えています。そして、私が傷ついているよりもはるかに深く痛みを抱え、怒りと悲しみと諦めの中で苦しい思いをした人がいるだろうことを思うと、謝罪の意を表明したい、そして、学ばなければならないと強く思い続けています。

そして、直接リプライを送ってくださったセックスワーカーの方たちに、こちらの本を紹介していただいていたので、『かがみよかがみ』内で書評と炎上を踏まえて考えたことを書きたい、と編集部に申し出ました。

私は編集ではありませんが、世に出される前にチェックはしました。私にセックスワークに対する知識があれば、視野が及んでいたら、と悔やまれてなりません。問題に気付きませんでした。本当に申し訳なく思っています。無関心だったところが大きいですし、偏見もありました。自身の中の差別意識にも気づかされ、勉強不足であったこと、疎外し傷つけ、差別を再生産するような表現の一端を担ってしまったことについて反省しています。そのことを伝えたかったのです。

編集部の答えはNo

結論から言うと、私は『かがみよかがみ』上で炎上を踏まえて考えたことを書くことはできませんでした。

私は公認ライターとして『かがみよかがみ』と契約している立場なのですが、その契約書を持ち出され、それに違反することを書かせるわけにはいかない、そうです。サイト上だけではなく、自分のnoteなどで発表することも規約違反だそうです。そして、書けないことを口外することも禁じられ、この記事を出すことに対しても葛藤やためらいがありました。公認ライターを降りても変わらないということです。

誠意を込めて謝罪したかったのにその場をいただけなかったのが残念です。

伊藤編集長の炎上に対しての見解について

私がセックスワークや少女売春になぜ賛成できないかというと、「そのセックス、やってて楽しいの?あなたにとって何なの?」って思っちゃうからなのよ。
自分の肉体と精神をどぶに捨てるようなことはしないほうがいいと思う。自分を粗末に扱わない男を選んでほしい、だってそっちの方が絶対セックスのクオリティが高いもん。

冒頭に引用した記事内の、この炎上箇所について、伊藤あかり編集長は、次のような見解を出しています。

このインタビューに同席した私の見解としては、上野さんは「主体性がないセックス」は「自分の肉体と精神をどぶに捨てるようなこと」という趣旨で発言されていたと理解しています。ですので、「同席したインタビュアーの4人がなぜ反論しなかったのか」というご意見もいただきましたが、セックスワークを侮蔑する流れでの発言ではなかったので、反論しようがない、というのが私の意見です。
上野さんの答えは「文脈から判断して下されば誤読はないはずです。発言した以上でも以下でもありません。弁解の要を認めません」とのことでした。編集部としては上野さんの意思を尊重し、補足や削除といった対応はしないことにしました。

この編集長の公式声明は、問題の本質から視線をずらし、上野千鶴子氏の権威に責任を押し付けるものだと感じました。

セックスワーカーを疎外し、差別を再生産するような表現で多くの方の尊厳を踏みにじった以上、尊重すべきは上野氏の意向ではないと思います。

謝罪したい思いは自己満足なのかもしれない

私は、セックスワーカーに直接この件についてどう思うか聞いたわけではなく、労働の当事者ではありません。誠意を込めて謝罪したい思いは本当にあるのですが、セックスワーカーの方がどう謝ってほしいのか、というのは想像するしかありません。Twitter上で知ることはできても、現場の方に直接、どこに傷つき、怒っているのかについて、声を聞く勇気も覚悟もありませんでした。自分が加害した人に対して、さらに土足で踏み込んでいくことも恐ろしかった。

反省して謝罪したからと言って、他者の尊厳を深く傷つけたことには変わらず、あの記事が出た事実が消えることはありません。この記事を書いているのは、許されて安心したいというずるい思いと贖罪の気持ちがあると感じています。そしてその二つは両方、自己満足だと言っても過言ではないと思っています。生の声を直接聞く勇気が今はまだ出ないことからも、それはわかります。

上野千鶴子氏と編集部を糾弾することは簡単だが

ここまで述べたことからも、編集部にはこの件に対して向き合う気がないのは確かです。何事もなかったかのように看過されていることに、私は怒りを覚えています。

ですが、私にも責任の一端があるのは間違いないのです。なぜこのような事態が起こったのか、考え続けていきたいと思っています。

(上)はこれで結びとさせていただきます。

(下)では、セックスワークスタディーズを読んで考えたこと、かがみよかがみコミュニティの問題点について、かしだなさん(現在の名前はidanamikiさん@seikatsukashida のnoteを引用しながら述べていくつもりです。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。






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