平日の午後3時過ぎ。 お昼ごはんとも、晩ごはんとも言えない時間に回転寿司チェーン店で食事をした。 回転寿司が大好きな子どもたちはまだ学校にいる時間で、 いつもは賑わっている店内も、この日は数えられるほどのお客さんしかいない。 タッチ画面で受付をして、表示される番号の席へと移動する。 席に着いたらお茶を淹れほっと一息、タブレットで好きなネタを選んで注文。 レールで運ばれてくるお寿司を、一皿ずつ「おいしいね」と夫と言いながら食べ終えた。 なにも珍しいことはない、回転寿司チェーン
人に恵まれている人生と 人に恵まれていない人生 「彼女(彼)、人に恵まれているな…」と感じるたび 自分の人生はそうではなかったと思って生きてきた 連絡を取り合う友達もいるし 家族関係が崩壊しているわけでもない それでも、人間関係というワードにあまり明るいイメージを持てない私がいる とくに職場での「人」には恵まれていない ミスをなすりつける先輩 自分の立場ばかり優先する上司 仕事に燃えるのはダサいと適当にやり過ごす同僚や部下 仕事関係で尊敬できる人なんて これまでに出会った
新しい語学の勉強を始めた。 何か明確な目的があるわけではないのだけれど、 日本語以外に喋ることができる言語を持ちたいと思ったから。 中学1年から勉強している英語は一向に上達しない。 英語の何が苦手かと言われれば、とにかく文法。 どうしても日本語から翻訳する形で英語に変換してしまうから、 日本語とは違う文法の並びに頭が混乱してしまう。 そこまでわかっているのなら勉強の方法も考えられそうだが、 英語は一旦脇に置いておこう。 今回始めた新しい語学は、文法が日本語と同じ。 「私は
学生のころは、年度ごとに測定していた自分の体力。 反復横跳びや上体反らしが懐かしい。 社会人になると、トレーニングジムにでも通っていない限り、そういう測定からとんと遠ざかってしまう。 そこで私は、昨年30代ラストイヤーに自分なりの体力測定イベントを設定した。 それは、とあるマラソン大会の10km走に必ずエントリーするというもの。 もともとフルマラソンの完走経験もある私だけど、 ここ数年はおしりに根が生えているのかと思わんばかりの出不精に。 このままでは走ることはおろか、歩く
イエスノーチャートで自己診断をしてみたり 手相やホロスコープ、姓名判断など 自分を知りたいと思ったとき 外側にある何かに、つい、頼りたくなってしまう そこで教えてもらうことにも 「そういう一面もあるなぁ」と新たな自分に触れた気持ちになるし 「やっぱりそうだったか」と腹落ちさせられることも多々ある けれど、自分の外から言われたことは 時間の経過と共に記憶から薄れていってしまう もしくは自分に都合の良い部分だけが切り取られて 本来の意味を失ってしまうこともある そうしてまた