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鏡という方程式

人に恵まれている人生と
人に恵まれていない人生
「彼女(彼)、人に恵まれているな…」と感じるたび
自分の人生はそうではなかったと思って生きてきた

連絡を取り合う友達もいるし
家族関係が崩壊しているわけでもない
それでも、人間関係というワードにあまり明るいイメージを持てない私がいる

とくに職場での「人」には恵まれていない
ミスをなすりつける先輩
自分の立場ばかり優先する上司
仕事に燃えるのはダサいと適当にやり過ごす同僚や部下
仕事関係で尊敬できる人なんて
これまでに出会ったことなどないと思う

ふと、そんなことを考えていたとき
人間関係を「鏡」という言葉で表現する人に立て続けに遭遇した
ひとりはここ数年、一緒に学びを深めてきた仲間
私よりも幾つか年下の彼女は
ふんわりと柔らかな雰囲気をまとっているのに
鋭い感性で世の中を見つめている
そんな彼女が言った言葉
「結局、自分の周りで起きること、それは人間関係も含めて全て自分の鏡だと思ってる。」
鏡…
その言葉を聞いたときの私は、
理解したような、でもどこかで理解がしきれていないようなむず痒い感覚だった

もうひとりは、私が最近始めた添乗員という仕事の上司
添乗デビューしたてで、毎回こと細かく報告をしている私が
「毎回お客様が良い方ばかりで助けられています。」と言ったときに上司が返した言葉
「お客様は、あなたの鏡よ。あなたの対応がお客様の様子に反映しているのよ。良い方ばかりと感じることができるのなら、きっとあなたの対応も良いんでしょうね。」
新人添乗員の私にとって、この言葉は何よりの自信となった

それと同時に、先に挙げた仲間の言葉を思い出す
「周りで起きることは、全て自分の鏡だ。」
添乗員としての私の対応が、和やかでパワフルで楽しいお客様を作り出しているのならば、これまで人に恵まれないと感じてきた私の人生も私の行いが反映しているということになる

ミスを人に押し付けたことはなかっただろうか?
いや、自分ではそんなことをした覚えはないけれど、もしかしたら押し付けられたと感じている人はいたかもしれない
自分の立場を守るために取った言動はなかっただろうか?
残念ながらゼロとは言い難い…思い当たる節はいくらでも出てきそうだ
仕事に燃えることをダサいと思っていたことはないだろうか?
仕事で付き合いのある人が私のことを尊敬してくれていただろうか?

鏡か…
人に恵まれていない人生だと思っていたものは、自分自身が作り出していた環境だった
立ち止まり、こうして振り返れば
自分の行いが返ってきているということは認識しやすい
フルタイム会社員という立場を離れて、客観的に当時の自分を見ることができるようになった影響はかなり大きい
しかし、渦中にいるときは、そのことに気づくのは本当に難しいのだ
どうしたって、自分を少し棚に上げてしまうのだから

40を過ぎて、ようやく人間関係の方程式を理解できた私
自分を棚に上げ、人に恵まれていないなどと悪態をついていた自分が
情けなく、恥ずかしさで穴があれば入りたいくらいだ
しかし、人間関係は鏡であると受け止められた私のこれからは
それに関してもいくらか明るいものになっていくだろう
もし、また人に恵まれていない…と感じたときには自分の行いを振り返ってみる
鏡の中から飛び出したもう一人の私が誰かの姿形を拝借して、私自身の行いを伝えるためにそこに存在してくれている

これまで関わってくれた多くの方々に、まずは、ごめんなさい
そして大きな感謝を、ありがとう


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