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便利と人情味

平日の午後3時過ぎ。
お昼ごはんとも、晩ごはんとも言えない時間に回転寿司チェーン店で食事をした。
回転寿司が大好きな子どもたちはまだ学校にいる時間で、
いつもは賑わっている店内も、この日は数えられるほどのお客さんしかいない。

タッチ画面で受付をして、表示される番号の席へと移動する。
席に着いたらお茶を淹れほっと一息、タブレットで好きなネタを選んで注文。
レールで運ばれてくるお寿司を、一皿ずつ「おいしいね」と夫と言いながら食べ終えた。
なにも珍しいことはない、回転寿司チェーン店でのいつもの風景。

けれど、この日はなぜか、もの悲しさを感じながら食事をしていた私。
その正体がわかったのは、お寿司を食べおえて店を出たときだった。

「店員さん、最後まで口を開かなかったね」
夫に向かってそう声をかけたとき、私の感じたもの悲しさはこれだったのかと気づかされた。
私たちがお店に入ってから出るまで、数人の店員がフロアにいたけれど、
その人たちの声を聞くことがなかったからだ。
お店に入ったとき「いらっしゃいませ」と声をかけてきたのは、タッチ画面に映るキャラクター。
お寿司が席に届くときも、会計をするときも、お店を退店する時でさえ
私たちに声をかけてきたのは、同じ抑揚で何度も繰り返される機械からの音声だけだった。

確かに便利。
機械が全てやってくれるんだもの。
受付も案内も配膳も会計も、見送りだってしてくれる。

けれど、そこに人間特有の温かみが一切感じられなくて、
それこそが私がもの悲しさを感じた大きな理由。
平日の空いている時間帯が、その雰囲気をより一層強調させたのかもしれない。
がらんとした店内に響きわたる、大音量の機械音声。
相手との距離感なんて完全に無視の音量設定。
店員が「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と発することさえ、コスパ、タイパ的に余計なものとして扱われるようになってしまったのかしら。
今の世の中、回転寿司チェーン店に人情味など不要なのかな。
こんなふうに、人間の仕事は次つぎとAIが替わっていくのだろうね。
フロアから店員がいなくなる日も近いのかも。

たくさんの便利に支えてもらっている一方で、
それでも人情味は残してほしいと葛藤する私がいる。


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