吹奏楽にハマったもので、青春に付き合ってます。
きっかけは長女が小学校の時に始めた吹奏楽でした。
当時我が家族は福島県に住んでいて、自分が東京の仕事でヘトヘトになり壊れて修理中のポンコツの時でした。テレビ小説「エール」のモデルになった古関裕而先生の故郷でもあり、娘や長男の通ってた小学校の校歌も古関先生のホームであるために古関裕而記念ホールなどがあり小学校でも吹奏楽が盛んな所でした。そういう環境や、僕もカミさんも吹奏楽では無いですが、音楽が大好きなのも手伝って娘が吹奏楽をやりたいと言った時には疑わず入部させました。担当は、テナーサックスを任せられていました。
そして、自分が海外赴任、そしてまた帰国し、東京で仕事をすることになったので家族で東京へ引っ越しました。引っ越したところが吹奏楽部があればいいね。と話していたところ、私の住む足立区、そして校区では吹奏楽がとても盛んだという話を聞きました。
娘が中学に進学したと同時に僕たち夫婦の吹奏楽にかける青春もはじまりました。彼女は、先生の勧めで、アルトサックスからバリトンサックスへ変更になりました。これで彼女はアルト、テナー、バリトンと全てのメジャーなサックスを手にしたことになります。一年生の頃はまだ体も小さくてバリトンサックスの方が娘より大きいのでは?と思ってましたが、卒業するくらいになるとその大きな楽器も身についてくるというか、身体が成長しただけで無いなんだかプロっぽく見えたりしましたね。
娘の通う中学は、マーチングでも座奏でも全国大会に出場した実績校です。地元の親、OBも地域で吹奏楽部を応援してくれています。娘は東京の小学校に転校した当時、テナーからアルトにコンバートされておりましたが、コロナの影響で活動は停止、そして新年度になっても部員が集まらず活動が全くできてませんでした。そして進学をするわけですが、この中学の顧問が昭和模の厳しい顧問でして、特にマーチングは運動部と変わらないくらいの厳しさ、校舎の上からトラメガで怒号が常に飛んでくるくらい厳しいものでした。昭和育ちの僕らであればそれでもいいのですが、現代の子供たちは親からも怒鳴られたことのない子供もいますのでキツい子はそうとうストレスになってたのでは?と思います。親が見ててもやっぱり厳しいと思いました。マーチングは規律がとても厳しいです。厳しい規律のなかで練習をしないとシンクロしません。なのでトレーニングはとても厳しいです。
初めての高校受験を迎えようとする娘の後に、長男も吹奏楽部へ入部しました。長男は娘と違って、楽器に触るのも初めて、楽譜もまるでわからない状態で入部しました。そして託されたパートはクラリネット。時々バスクラリネットというパートになりました。最初はベークラと呼ばれるいわゆる、クラリネットでしたが、パートタイムでやっていたバスクラに採用されまして、姉と同じような音域の受け持ちになってしまいました。さすがきょうだい。なので座り位置も隣同士になりました😁
4月に新しい部員が入って8月の半ば頃には全国吹奏楽コンクールの予選が始まります。そう、吹奏楽版の甲子園と言われるヤツです。ザッツ・青春。情熱を燃やして、心を燃やして、倒れても立ち上がって、立ち上がったのに理不尽で、牙を剥く。とんでもないドラマを描くのが吹奏楽コンクールです。この日のためだけに一年間吹部のメンバーは毎日努力をしているのですよ。休みは基本ありません。上級の学校に行けば行くほど時間は吹部にとられます。長男の中学は60人、娘の高校は170人の部員がいます。一度踏み入れたら抜けられない沼に入ることになります。中途半端には入れません。どっぷり足先から頭のてっぺんまでそしてさらに深いところへ導かれます。なので親も覚悟をしないと、「勉強が疎かになる」「受験ができない」などと親子共々音を上げる事になります。
我が家は娘も、長男も勉強ができる方ではなく、奔放に育てています。学業を優先したかったら部活に入れてなかったかもしれません。少なくとも自分の中ではやることをやってれば部活に注ぎ込んでもらいたい。と思っています。なので親もできるだけ部活動のサポートをする事にしています。カミさんは母親の主宰する会、主に合宿やコンクールでの子どもたちのサポート、先生の機嫌取り(笑)この強きお母さんたちがいるから部もうまく回っていきます。そして、僕。父親で構成される、よく言う「おやじの会」に所属しています。主に楽器運搬の一切を担当します。楽器の積み下ろし、トラックの配車、楽器倉庫の管理、合宿の手伝い(主にお母さんの会の僕、足)などなど多岐に渡ります。今年度は闘病生活をしているのであまり参加できてませんが。幸いうちの子供たちは吹奏楽に青春をぶつけてくれているので品行ははとても良いです。長男は反抗期の真っ盛りで首を締めたくなる時がありますが、これも将来、お酒を飲みながら話ができる日が来ると思ってます。いまは遠くで見守ってる感じです。多分、自分の反抗期よりマシなのでは?と思っています。現場はカミさんに任しています。
娘の受験も大変でした。やっぱり吹部の活動が全てのネックになったからです。でも娘は最初から青春の時間、彼女の人生のわずか6年間を吹部に捧げていく事に腹を括っていました。中学最後のコンクールで、いわゆるダメ金で都大会で夢が破れてしまい、大泣きした彼女はその時に何より吹部が全国で金賞の常連校への進学を決めたそうです。あの時の娘の涙は忘れられません。誰よりも悔しがっていました。そうこれが吹部の理不尽なことの一つなんです。自分が頑張っても、人より倍以上練習しても、そのバンドが勝てないと上の大会に行けないんです。なんでも団体競技はそうだと思いますが。大会前のオーディション等は殺伐するそうで、全員がライバルになります。さっきまで一緒にアンサンブルを組んでた仲間と闘う事になります。それも青春。吹部の世代交代は遅いです。部にもよると思いますが、コンクールが終わり、マーチングの大会も終わると引退。とはなりません。先生から与えられるのは「仮引退」受験優先でいいんだけど、 クリスマス演奏会が年末、そして最後の定期演奏会が3月の末に控えています。卒業式の寸前まである程度の部活を強いられます。会社なら完全ブラック、コンプラ違反もいいとこ。そこまで追い込まれます。うちの娘は学業成績がとても悪く、2年の担任はどちらかと言うと学業優先型の担任だったので、面談の時にも「吹部であってもその遥か前に⭕️◯さんは中学生」と言われた事がありました。3ねなので内申点もよく書かれていなくて最後までこの内申が影響しました。ま、今となってはいい思い出ですね。そして彼女はできるだけの努力をして、東京都港区にある吹奏楽最強の一つと言われる私立高校に入学しました。まさか自分の娘が港区女子・JKになるとは夢にも思いませんでした。合格発表は今やネットで発表になるので、受験番号を打ち込んでリターンキーを押すと「合格おめでとうございます」という画面に変わります。その画面が出てきた時は家族全員で大喜びをしました。本当に嬉しかった。
吹部の子供を持つ親ならどこもそうだと思いますが、子供が躍動してるのを見るだけでやっぱり感動するし、なんかこう自分も青春のど真ん中にいるような気持ちになりますね。自分の青春時代と比べながら。
そして長男は2年生になり、ますます吹部と関わる事が増えました。先日ソロコン用の動画を見ましたが、我が息子ながら、リズム感がとても良いようで音もしっかりしています。バスクラらしい音を奏でてました。わずか1年とちょっとでここまで吹けるようになるんだな〜と感心させられました。
さ、明後日はマーチング大会の東京都予選です。その日はB編成チームながら出場しますし、長男も全国大会を目指します。この日にきょうだいで同じステージに立てるのはなんか感動します。そして楽しみです。
まとめ
こうやって子供たちの吹部に関わっていくと、同じタイミングで喜んだり、泣いたり笑ったりできます。そして仕事の合間を縫って積極的に参加する事で親も青春をもう一度体感できます。マーチングの出来上がっていく様を見たり、大声で先生に怒られたりしてるのを見るとなんだか自分のせいしゅんじだいにフラッシュバックする事もあります。それを見ていると、学校とかステージで見る子供、そして自宅に戻ってリラックスしている子供のギャップに萌えたりするのも親ですね。大変で、お金も相当かかっていますが、吹部に入ってくれて本当に親は嬉しいです。今後もがんばて!夏休みの宿題は全然できてないけど(笑)もう知らんわ。
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