楽しんでいい

先日、数日間の旅行に出かけていた。

その地では、行く前から楽しみにしていた名物を食し、好きなミュージシャンのライブを観た。心地良い温泉に浸かり、心と身体をほぐして、ホテルの清潔なベッドで眠りに就いた。

要するに、とても楽しくて幸せな旅行だった。

美味しい食事を楽しんでいる時や音楽に包まれている時、“私は自分にこうやって喜びをあげていいんだ”、と思った。

体調を崩して仕事をお休みしてから、頭ではゆっくり休んでいいのだと分かっているのに、なぜだか“何も生産的な事をしていないことへの申し訳なさ”のような想いを抱くことが時々あった。

生産的って何を意味するのか分からないし、たとえ誰かの役に立たずとも、人はその人の生を生きる権利があると思っているのにも関わらず、だ。

だけど、今回の旅行中、いくつも自分にとっての嬉しいことを体験する過程で、“何かを為していなくても楽しんでいいんだ“、と心で感じることができた。

だからこれから、例えばやるべきことがやれていない自分に焦って嫌になってしまったら、一旦そのことは置いておいて、自分を喜ばせてあげるのもアリじゃないか、と思えた。

全てひとつひとつに向き合う必要はないはず。

周りの目、または自分の目から見てどんなにへっぽこだったとしても、楽しいことを楽しんでいいのだ。