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【Twitterまとめ】親と子の距離感と感情の境界線について

昔は子供で、今は親の立場でもある自分自身への戒めとしても書くけど、自分の親が常に正しいとは限らない。善人であるとは限らない。子供が思うように子供を大切にするとは限らない。親子でも相性が悪い場合も多い。

生まれたときから側に居る、一番身近な「他人」であることが大前提で、別人格として分離が出来ていることが何より大事。

子供の感情は、親の自分と完全に連動していて同じ感じ方をしないのを受け入れない、許さない、という親は世界に沢山存在して、私達はそれを毒親の1つのパターンとしてそう呼ぶのだけれど。そういう毒をもつ人々はスタートレックのボーグみたいな意識の集合体であることを要求されるんよ。同じでないと許さない、家庭における激しい同調圧力。

毒親との関係性、特にこの子供の感情は無にされるパターンを自分は経験してきたけれど、これは世の中の毒親事例で見れば程度も色々。大多数の人は自分の経験した世界でしか物事を判断できないから、育ち方が健全な人が不健全な親子関係を見聞きすると大体、子供側の欠点や問題として片付けようとする。私も沢山経験してきた。誰に何を訴えてもそう返ってくる時期もあった。

私が機能不全家族から浴びた

『その感じ方は間違っている』
『お前はしつこい』
『そんな事を言うお前は誰からも嫌われている』
『下らないことをいつまでも根に持つな』
『お前は精神病だから精神病院に行け』

など、そっくりそのまま第3者から言われることがある。Twitter上でもね。

それは違います、私はそう感じません。不快感があります。やめてください。どのレベルまでそれを要求するかで常に人は誰かと衝突するものだけれど。家庭内でその『自分の感情を言葉にすること』を全面的に封じられてきた人が、外の世界で吐き出すことは、別にいいではないか。何故、何も知らない赤の他人に毒親と同じ毒をまき散らされてしまうのか。

我々は、きっと吐き出し続けたら、毒親や機能不全家族から侵食され続けてきた自分の感情の境界線をやっと引ける。かもしれない。効果は未知数。感情を否定されるということは、死んでるのと同じ、存在がそこにない。この感覚は、地に足がつかない浮遊感は、感情を取り戻さないと治せないのではないのか。

私は、今は自分が親だから、一番身近な「他人」として、我が子の側に居る。私と違う感覚で物事を捉えて話し、私を批判する我が子を、頼もしいと思うし面白いと感じる。落とし処を見つける作業を、我が子とする事は多い。妥協する、譲歩する、譲れない事は譲らないこと、親から学べる方が世界に出た時楽かなと思う。

親は生まれたときから側に居る、一番身近な「他人」であることが大前提で、別人格として分離が出来ていることが何より大事。精神的に不調になるとこのイメージが薄まるから、何度も頭に叩き込んで毎日この距離でこの位置で、私は行動していきたいと思う。


反響の多かった自分のツイートを読みやすいよう、繋げてテキストとして残しています。(誤字脱字の修正と文章の微調整をしますのでオリジナルを多少改変しています。)

投げ銭を頂いたりしたら、嬉しさと興奮のあまりワタクシの鼻毛が伸びる速度が上がって大変な事になることでしょうね…。