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「とんちんかん」

「とんちんかんなことだったら、ごめんね」

時折、母にそんなふうに言われる。

母とは、たまに電話をするし
東京に出てくるたびに、休みをとって会うようにしている。
最近は会えていないけど、Facebookのコメント欄で話をしたりする。
わたしのnoteを、たのしみに読んでくれているようだ。

母にはきっと、多大なる影響を受けた。
たぶん、すごく似ている人なんだろうけど、あんまり自覚はない。
わたしがわたしであることも、母のあの性格も存在も、わたしには当たり前過ぎた。



「とんちんかんなこと」という言い回しは、たまに母が使う。
それは「ごめんね」とセットで、
「的はずれなこと」「ちぐはぐなこと」という、言葉通りの意味だ。

わたしは一生懸命言葉を尽くすし、
母も、それなりに考えて言葉を選んで、返してくれる。
でもそのうえで、「とんちんかんだったらごめんね」と言う。

とんちんかん、という
その言葉のまぬけな響きもあって、
わたしはこの言葉を、少し寂しく思う。
そんなことないのに、と。
そんな風に言わなくてもいいのに、と。


わたしも、「とんちんかんだったらごめんね」と言ったことがある。
同居人に対してだ。
何か、悩みだったり憤りを聞いたあと、わたしは一生懸命に言葉を返す。

鋭い正しさは、刃になる。

わたしはわたしの正しさを主張したいが、
これを全部受け入れてもらうには、もしかしたら「わたしとまったく同じひと」になってもらわなければいけないかもしれない。
彼には、彼の正義があるし、
彼の正義のために、わたしは自分の正義を折ることができない。

嘘は得意だ。
嘘には、ほんの少しの真実をまぜる。
わたしの嘘は、嘘ではない。自分すら騙す、そういう言い回しもできる。

嘘は、自分の身を守ることができる。そういうこともある。
もしかしたら、相手のことも守れるかもしれない。
でも、この嘘を繰り返しながら、この人と一緒に暮らしていくのか。
と思ったら、耐えられなくなった。
傷つけたり、傷つけられたりするけど、
正しさがすべて、とは思っていないけど
過剰な、上辺だけやさしいような嘘はやめよう。と思った。
自分すら騙して、見失ってしまうような嘘はやめようと。

結果、「とんちんかんなこと」になってしまう気がする。

わたしは一生懸命話す。
できれば、「救いたい」と思って話す。

言葉を削るのは、苦しいけどかんたんだ。
我慢をすればいい。
うんうん、とやさしくうなずけばいい。
意見を述べずに、最後まで我慢すればいい。
でも、そうじゃない
寄りそうのって、どうしてこんなに難しいんだろう。
「よろこびそうなこと」を言ってやるほうが、よっぽどかんたんだ。

嘘を吐かず、
わたしの正義を押し付けずに一生懸命話すと、「とんちんかん」になってしまうような気がする。
それは、君の望みではないかもしれない、と。


致し方がないのだ。
一緒に住んで、同じものを食べて、同じシャンプーを使ったって、
それを何年、何十年と繰り返したって、同じ人間にはなれない。
そもそも、性別だって年齢だって違う。
身長だって20センチも違う、ぜんぜん違う景色を見ているんだ。

わかっている。
でも、ごめん
もっと、よく効く薬みたいな言葉が、きっとあっただろうに、と思う。


「そんなことないよ」と、同居人は言ってくれる。
わたしたちはどこか似ているけど、
なにで傷つくかとか、大事なものがちょっと違う。
違う視点で生きている。
だから、「そういうのもありか」ということで、受け取ってくれているのだと思う。


傲慢なんだ。
本当は、君の気持ちをわかりたかったし、寄り添いたかった。
欲しい言葉をかけてやりたかった。
そういう風にできないことを悟って、「とんちんかん」と言ってしまうのだ。
理想が高すぎる。


わたしも母親に、「そんなことないよ」と言う。

わたしと母親は18年一緒に暮らしたし、いちばん身近なおとなだった。
性別も同じ女だけど、年齢は30以上違うし、生まれた場所も違う。
音楽、それも鍵盤弾きという共通言語を持ちながら、違う目線と手法で旅をしている。


だから、いいんだよ。

わたしをバカにしたり、上から目線じゃなくて、
あなたの目線で寄り添おうと、言葉を選んでくれたこと
わたしにはそれで充分だ。

別の人間だもの。
たまに、チャンネルが急に合うように
いくつかの気持ちを、共感できるかもしれないし
それは、思い込みかもしれない。
そしてそれは、共感であって、
同じ事柄を同じ気持ちで共有することは、きっとできない。

それでもわたしは、言葉を紡ぐ。
誰かの人生に、ほんの少し寄り添えたらいい。
そしてそのあとのことは、君たちに任す。
君たちの言葉でまた、切り開いてくれればいい。


だから、とんちんかんなんて言わなくていい。
それが本当に「とんちんかん」かどうかは、どちらでもいい。
わたしの意図と違って、
違うことを理解して欲しいと思えたならば、また次の言葉を紡ぐ。

同じ形なんて、つまらないじゃないか。

だからわたしは、
これからも、わたしの目線で言葉を紡ぐし、
誰かが紡いだ言葉を、誠意を持って受け止めていきたいと思っている。


photo by amano yasuhiro


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