拾った服を着て、道に迷っても

「寒いから、厚着してきてね」というメッセージには、
「たくさん歩くことになるから、着脱可能できる感じがオススメだよ」なんて返したことを後悔するくらいの寒さだった。

寒い。
昨日とぜんぜん違う。
先週末の日中には、半袖だったのに。
今日は寒くて、風が吹いていて、雨も降りそうで
歩いているのに、ぜんぜん熱くならない。
念の為小さなマフラーを持ってきたことを褒めながら反省していた。
もうひとつ、大きいのにすればよかった。

バス停に着いたら、友達に連絡しよう。
いまは午前中で、待ち合わせの時間まではまだある。
わたしは、病院に行く途中の道を歩いている。

ああ、せっかく買ったばかりのカービィのスウェットを着てきたのに。
友達に、自慢しようと思っていたのに。
ジャケットのファスナーを、今日は下ろせそうにない。

この道を、好きだと思う。

なぜ好きか考えたら、玄関に近いから、だと思う。
家やお店の顔が、よく見える。
家の近くだと、門があったり、庭の奥の一軒家だったり、なかなか見えない。
見えたほうがおもしろいと思う。
行ったことのない美容院も薬局も、見慣れると親しい存在へと変わる。

ふいに、細々したものが目についた。

細々している。
それ以外の適切な表現がない。
小さなコンテナに、ぎゅっと詰まっている。
たぶん、文字……

ご自由にお持ちください

赤字で書かれた紙が現れて、納得した。
お庭に置いて、勝手に持っていってくださいってやつね。
なるほど。

病院には遅刻気味だし、ひとりだったので立ち止まらなかった。
でも視線は外さず、ぼおっと眺めていたら、きちんと畳んだお洋服も並んでいた。
それは、長袖のブラウスだった。

ああ、マフラーだったら持っていったかもしれない。
あたたかいマフラーなら、きっと。

そう思ったら、急に愉快な気持ちになってきた。

寒かったら、マフラーを買おう。
そういう気持ちで生きていこう。

RPGみたいで、いいかもしれない。
知らない街で地図を見て、行き先を決めて
レベルに合わせた装備に整えてゆく。

迷ったり、倒れたりしながら
友達の手を借りて、前へと進んでゆく。

現実世界では、なぜだか迷ったり倒れたりしてはいけないような気がしていた。

きちんとするべきだ、と思っていた。
失敗は、するよりしないほうがいいと思っていた。
きちんと準備して、過不足なく遂行すべきだと思っていた。
他人に、迷惑をかけないべきだと思っていた。

それはぜんぶ正しい、という見解も否定しない。
会社の一員として働いているときのわたしは、その気持ちが強かった。
間違っているとは思わない。

でも、あなたの前のわたしや、家でのわたしは、そうじゃなくていい。
「何もしなくていいよ」と、君は言う。
そしてわたしも君に「ゆっくり座ってなよ」と言う。
たぶん、そういうことだと思う。

少し、肩に力が入りすぎていたような気がする。
べつに、拾った服を着て迷うような生き方をしたってよかったはずなのに。
転んだら立ち上がって、笑えばよかったのに。

肩の力を抜くべきだ。
でも「抜くべきだ」なんて言いながら、力を抜くのはなんだか不自然な気がする。

わたしの肩に、ピカチュウが乗っていたら。

ニャンコ先生か、ケロちゃんでもいい。
ニャンコ先生はちょっと重いかな……
おなかに、トゲピーかチョッパーを抱えていても良い。

そういうやわらかな想像をしながら生きてゆけたら、
なんだかもう少し、やさしく生きられる気がしている。



※now playing




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