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或る夜、努めない話

逃げよう、と思った。

結局したことは「何もしないこと」と「眠ること」だったけれど、というのが事実だけれど
その夜、わたしは逃げた。

最初は、少しのんびりしよう。から始まった。
それからどれくらい時間が経っても、スッキリと起き上がることができなかった。
ごはんを食べても、ソファーからベッドに移動して昼寝をしても、ラジオ体操をしても、お風呂に入ってみたもダメだった。
むしろ、次第に身体が重たくなっていった。

いま思えば、火が消えてゆくようだったと思う。

帰宅したすぐあとは元気で、
買ってきたバラの葉と棘を落として、花瓶に挿した。
荷物の集荷手続きをして、掃除もして、手紙も書いた。

手紙を書いたときには、既にオカシイような感覚があった。
あれだけ書きたかったのに、うまく言葉が浮かばない。
なんだか、つまらない内容になってしまった気がする。
「手紙を書きたいから住所を教えて」と、わたしから頼んだのに。
毎日、エッセイだって書いているのに。
そんな人が書いた手紙には見えなかった。
そのときは、「おなかが空いているからかな」と思ったのだけれど。

そして、ごはんを食べて昼寝をしてもパッとしなかった。
というのが、昨夜の結末だった。

思考は深夜0時を少し過ぎたところで、手放した。
ほんとうにだめだった。
やる気が起きなかった。
やる気が起きないなんて言い訳で、いままでたくさんのことをやる気不在の状態で乗り越えてきたというのに。

「逃げよう」という言葉は、その晩妙に美しく響いた。

物語のように連なる思考は直感から始まって、
直感を肯定するための言い訳を、
巧妙に加工したものが理由となって、
理由に対して納得できれば、頷く。
そう、そういうこと。
そういうことだから、仕方がない。

「逃げることに決めた」のだから、今日はそれでいいんだ。
部屋の電気を消して、眠ることにした。

あまり気分の良くない夢で、何度も目覚めた気がする。
寝起きも、ぜんぜんよくなかった。
それでも、「ああ悪くない逃避行だった」と思って、朝にこのエッセイを書いている。

今朝は、「これ以上逃げるという、確固たる意志を持っていない」と思いながら、ふとんを蹴飛ばした。
だから、「逃げよう」という意志を持てるときは、逃げてもいいんだよなあ。と思っている。




※或る夜は、朝に出会うために


【photo】 amano yasuhiro
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