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明日でもよいこと

 コーヒーを飲むつもりで家を出たのに
 帰りに中華料理を食べて、時刻は20時。
 ベランダに干しっぱなしのラグに、思いを馳せる。
 おなかは、いっぱい。


 むかし、母親に褒められたことを思い出す。
 実家にいるときのわたしは、家事のひとつもできなくて
 たまねぎの剥き方も、洗濯機の回し方もわからない子どもだった。
 母親は在宅仕事で、いつも家にいたから、何かに困ることもない、ほんとうに甘ったれた子どもだったと思う。

 そんな母親が泊まりがけで出掛けたときに頼まれたことはたったひとつで、それが「洗濯物だけしまっておくこと」。
 ただそれだけなのに、なぜだかわたしはすっかり忘れてしまった。
 あのころは、自分のスマホも持っていなかったし、目覚まし時計を「目覚まし以外のアラーム」として使うなんていう考え方もなかったし。
 もう、忘れたら忘れるしかなかった。

 サアッと何か冷たい感覚が自分の中をかけめぐったあと、
 ほんの少し考えて思ったことは「明日にしよう」だった。

 明日の日中に、もう一度洗濯物を温めて
 それから、何事もなかったようにしまえばいい。
 母親が帰ってくるのは、明後日の昼だから。

 よし。これで大丈夫。
 ナンも問題ナシ。


 自分の失敗は黙っておけばいいのに、どちらかというと「自分の天才的な発見」に感動してしまったという感覚が大きくて、「洗濯物しまうの忘れてさァ」と母親に話してしまった。
 当時のわたしのことだから「忘れてしまった罪悪感」を、更に「隠すことへの罪悪感」もあったのかもしれない。

「えらいじゃん」

 母親は、そんなふうなことを言ったと思う。
 確かにこのとき、天才的な発見を、褒められたと記憶している。


 あの日、雨が降らなくてよかった。
 明日も雨は降りそうにない。
 今日は何もしたくないから、ラグは明日にしよう。
 えらいじゃん、それでいいじゃん。

 あんまり完璧じゃなくても、理想通りじゃなくても
 終わりよければすべてがよい、と思える結末が、たまにはあったって。

 それでいいじゃん、って思ってる。



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