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輝く刹那に

ぴかぴかと光っている画面を、ぼおっと見つめる。

画面の中では、「ロックマン」が駆け回っている。
ロックマンX(エックス)
わたしは子供の頃からこのゲームのことを、よく知っていた。
言葉通り「知っていた」だけで、兄がプレイしているのをよく見ていた。
だから、いまでもゲーム画面をぼおっと見ている時間は幸福だと思う。

画面では、ロックマンXの何作目かのエンディング間近で、画面がぴかぴかと点滅していた。
クライマックスを告げる音、
「建物が崩れるから早く逃げなきゃ」みたいなシーン。

いまではNintendoSwitchという最新機種でプレイできるようになったけど、当時はスーパーファミコンだったと思う。
懐かしい。

画面がぴかぴかするのを「懐かしい」と思った。
いまでは、エンディング間近でクライマックスを告げる音がしても、こんなふうに画面はぴかぴかしない。
グラフィックもきれいになったし、「ゲーム」に積める音の量もぐんと増えた。

あのころは、ぴかぴかしてたな、と思う。

それは子供時代の輝かしさ、なんていう意味じゃなくて、「ゲーム」に於いてそういう時代だったんだ。
そういうのが美徳というか、当然というか、「それしかない」というか、
クライマックスを告げるには、ごうごうと音がして、ぴかぴかするしかなかった、あのころ。

「よいもの」とか、「あたりまえ」っていうのは、気づくと流れてゆく。
スーパーファミコンは夢のマシンだったけど、プレイステーションが出たときには感動したし、Nintendo64が出たときには、もっと感動した。
プレイステーション2が出たときには、そのグラフィックの美しさに「信じられない」と思った。
ゲームの世界は、信じられない速度で進化してゆく。
素人のわたしにだって、よくわかるくらいの大きな歩み。

「いいもの」って、刹那的なものかもしれない。

もちろんいまだって、ロックマンXのストーリーには感動しちゃうけど、ぴかぴか光る演出には「時代を感じるなあ」っていうのが正直な感想だった。

そうだね、
やっぱり、刹那的なものかもしれない。
世界もわたしも、少しずつ変わってゆく。
その速度が、見えることもあれば、見えないこともある。

それならば、
いま「よい」と思えるものを、全力で抱きしめたっていいじゃないか。
どうせ変わりゆくものなのだから、
もっとすなおになったって、悪くない。
いつか「よくない」とか、「もっといい」を見つける、その前に。
忘れてしまうその前に。
世界の、わたしの、時代が変わってしまう前に。
「好きだ」と言ってみよう。それから考えよう。

わたしはあの夜、そんなふうに思いながらロックマンの画面を見つめていた。




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