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ハッピーセットをポケットに

友達から連絡がきた。

ぽんっ、とひとつ、いつも通りのメッセージが届いたあと、しばらくしてこちらを気遣うような内容が続いた。自意識過剰かもしれないけれど、生身の、温かさを感じた。
わたしは時折、文章から必要以上の温度を感じ取ってしまい、それを勝手に受け取ってしまう。
感覚を信じすぎてはいけない、言葉は言葉であり、それ以上ではない。
わかっているのに、無視することができない。足裏を流れる、さざなみのように

心配をかけてしまったな、と反省した。
いつも、自分としては落ち着いた心境と内容で、近況を報告しているのだけれど、その落ち着きと、切り取られた言葉が何か不安を煽ってしまったのかもしれない。
いや、これは考えすぎだ。「友達を思いやる」それが今回は”心配”に近い何かである。それ以上でも、以下でもない。気にかけていただいた。


刹那、心配をかけたことを後悔した。
言わなければよかった。メッセージで伝えなければよかった。いつも通り、会ったときに、事後報告で、笑って話せばよかった。隠し通すこともできた。でも、それはしたくなかった。なんとなく。”家族”と、わたしは相手のことを思っている。いろいろあるその形のひとつだと。
だから、誤魔化したとしても、隠し通したくなくて早めに話した。

「ぎりぎりで声を掛けられても困るから」
笑って、けれどもピシャリと言われた。
「その手前で、きちんと話して」
わたしは、そのことをずっと、覚えている。


できるだけ心配をかけないようにしよう、と思っていた。
相手は忙しい人だし、ずうっと余裕のないような働き方をしていた。それを見守って、応援したかったし、できれば手助けしたかった。
だからせめて、わたしの重荷を預けることがないように。そんなふうに思っていた時期もあって、それもそれで正しかったのだと思う。
「それでも、家族と言えるのはすごいことだね」と、友達は笑った。そして、神妙に頷いた。

心配をかけなきゃダメなんだ、と思った。
いまはそれでよい時期なのだ、と思えた。

いまでこそ笑えるけれど、ひとりでいろいろなんとかしなくちゃいけなくて、わたしが悪いんだと思って、そんなことをしているうちに身体がついてこなくなって、ベッドから出れなくなって、選択肢のすべてが「死」になった。
すべてがオオゴトになって、自分で持てなくて、「持てないなら死しかない」としか考えられなくなった。
いつもなら、いつかよくなると信じられるすべてが、わたしの部屋から消え去ってしまった。友達の連絡先も。


「ないものはない」という、ジンベエの言葉を、今では大切に思い出す。
大切な、本当に大切なものを失ったルフィへ掛けた言葉だった。
なんと残酷なことを言うのだろうと思ったけれど、どうして残酷さと優しさはセットでやってくるのだろう。諦めと、希望がセットであるように。逆さまのハッピーセットみたいに。

「ないものはない」わけだから、助けてもらうしかなかった。
そもそも、ひとりで船長も戦闘員も航海士も担当できるような力量は持ち合わせていなかった。
そして人は、気質が航海士であっても「わたしは船長になれない」という事実に落ち込んだりするものだ。どうして学生時代、得意科目のアレコレよりも、苦手科目の愚痴で盛り上がったりしちゃったんだろう。もっともっと、日本史の話をすればよかった。


お気遣いを嬉しく思う。
もしかしたらそれは思い違いで、気遣いでもなんでもなくて、いつも通りだったのかもしれない。
けれどもそれはどちらでもよくて、「お気遣い」と思わせてくれた事実に少し泣けたし、「いつも通り」だとしたら、有り難すぎる。その”当たり前”の姿勢に、これから何度も救われてゆくだろう。

いま、わたしはあなたを助けられるような気概はないかもしれないけれど
いや、ぎりぎりでも君の前では、もう一度笑うだろう。そうすることでまた、少しずつたくましく、回復してゆくのだろう。
兎にも角にも万全ではないけれど、どちらかといえば万全の少ないタイプの人生を送っているので、いまさら大きな問題ではない。


ポケットに、両手をつっこむ。
暖かく守られたその右手をハサミに変えて、片方を引き裂く。小さく、けれども確かに。
悲しみは流れ落ち、ときには嬉しかったことも薄情に忘れてしまうかもしれないけれど、そうして感情も循環してゆく。血液みたいに。同じ場所にはずっといられなくて、生まれ変わってゆく。
少なくとも、わたしのポケットはそんなふうになっていて、空いた穴から”死”が遠ざかってゆく。
オオゴトを切り刻んで、コゴトに変えて、循環させゆく。ナニゴトも。それが生きることだった。
だから今日のことも、その優しさも、いつかは忘れるかもしれない。
覚えていることよりも、笑うことを諦めないことのほうがきっと尊いし、笑えない日には生きているだけで素晴らしい。きっと、たぶん。

少なくとも、わたしはそう思う。



※now playing

寂しいときや悲しい気分のときに
寂しい曲を聞いたほうがよいときと
寂しくないときを聞いたほうがよいときがあって
今日は、後者だった。

寂しいときには、寂しいままでいいときもあるから
そういうときには、マトリョーシカでも聞いて、泣いて欲しい。

いいよ、元気じゃなくても



▼うちのリビング


▼おしゃべりなど



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