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ダリアの首を、落とせるか

新宿で、ダリアを摘んできた。

新宿マルイの一角が、ダリアで埋まっていた。
話を聞いてみたら、福島にある「ダリア摘み放題」さんが、出店してきているらしい。
水の入った缶を買って(ダリアが好きなものが入っている、と言っていた。お砂糖とか)
そこに、好きな花を選んで挿してゆく。というものだった。

わたしも、ダリアを摘むことにした。

ダリアは、どれくらいあっただろう。
数百、だろうか。
うまく数えられないけれど、たくさんあった。
そこから好きなものを選ぶって、なかなか難しい。
となりを歩いているお姉さんの缶の中身はすごくすてきなのに、わたしの缶は冴えない。
というような気さえしてしまう。

かわいさ、色味も大切だけれど
ついつい茎の長いものや、咲き始めのものを選んでしまう。
一緒にいられる時間が長いように、祈りながら。

「ダリアはね、どうしてもここから枯れちゃいますから」
いろいろ悩んでいたわたしに、店員さんがそう声をかけてきた。
“ここから”というのは、茎と花の境目とでも言えばいいのだろうか。
人間で言うなら、耳の裏にあたるような感覚だ。

「枯れてきちゃったらね、ここで切ってお皿に浮かべてあげてください。
 そうしたら、そのあと数日は楽しめますから」

笑顔で告げられたので、笑顔で頷いた。
だけど、心の中はそわそわしていた。

わたしはきっと、ダリアを切れない。
それは、花を浮かべるべき美しいお皿がないから、だと信じたい。
でもきっとそれだけじゃなくて
「もう少し大丈夫だろう」なんて、夢見がちで無責任なわたしがいる。

1年近く、切り花と暮らしている。
完全に枯れてしまう前の花を捨てるのは、いつも少しつらい。
つらさをくぐり抜けるための言い訳とか、言い回しとか、心の準備がうまくなってゆくだけで。

だから、うまく笑えていたかわからない。
ほんとうは不安だった。
というか、きっとできないとすら思っていた。

わたしは、ダリアの首を落とせない。

花を切る用のハサミで、茎の先端を落とす。
花屋で出稼ぎをしていた、というひとに教えてもらった。
先っぽから腐って、栄養になるべく土に還ろうとしてゆくから。
傷んだ部分を少しでも切るといい、と。

ついでに葉っぱとか、咲かないつぼみとか、間引いていくといい。
というのも、わかっている。
ずいぶん上手にーーーそれは花に対してではなくて、気持ちに対してーーーできるようになったと思う。

でもわたしは、あゆのことを忘れられない。

「ハチミツとクローバー」を愛しているが、24話は印象的な物語のひとつだった。

けれど7月の台風で
一番背の高いシソが一本
ポッキリと折れてしまった

母はそれを見て言った。
「それはもう元には戻らないから、折れた所からちぎりなさい」
「そうすれば、新しい枝がのびて、また新しい葉がきれいにしげってくるから」、と

でも私には、それがためらわれた。
どうしても

"ハチミツとクローバー" Chapter24

だって先端の葉は元気だから、というのが、あゆの言い分だった。

そりゃそうだよね。
プランターのシソは、昨日まで元気に育って、伸びようとしていたのに。

だからあゆは、折らなかった。

この物語の終わり、シソは自分の重さに耐えかねて土の上でのたうっている。
「母さんの言う通りだった」と、あゆは言う。

どうして私は、夢をみてしまうんだろう。

くり返し
くり返し

あきもせず
バカのひとつ覚えみたいに

"ハチミツとクローバー" Chapter24

そしてあゆは、折れたシソと自分の恋を重ねてゆく。
その男が、別のひとを見ていることに、とっくに気づいていたのに。
少しでも、心がこちらにかたむかないかと
願う心を捨てられない、あゆ自身に。
そして、「折るべきだった」と気づきつつある。
きっと、気づいている。
認められないだけで。

それでも、まだ私は
迷ってしまうのだ。
どうしようもなく

"ハチミツとクローバー" Chapter24

どうしても、
バカのひとつ覚えみたいに
どうしようもなく

この言葉が、いまでもわたしの心臓を刺している。

「ハチミツとクローバー」に出会ったのは10代のときで
あのころと比べたら「おとな」というカテゴリーに属しつつあるわたしだから、
どうしようもなくても、泣かなくなったかもしれない。
どうしても、という気持ちと折り合いをつけられるようになったかもしれない。

でも、バカのひとつ覚えみたいに
あゆの言葉を、忘れられない。

おとなになるということは、あまり痛まなくなることかもしれない。
痛いけれど、平気だと言ったり、気遣ったり、折り合いをつけて、へらっと笑うことかもしれない。

花をきれいに保つ方法も、少しくらいは知っている。
正解も、わかっている。
わたしは、ダリアの首を落とすべきだ。

でもきっと、落とせない。落とさない。
それは、夢を見ているわけでも、信じているわけでもない。

わたしは、わたしの中のあゆを、殺したくない。切り落としたくない。
一生懸命の恋に、思いに、青春に、
信じたくて、夢見て、そして傷ついたひとりの少女が、わたしの中で生き続けてくれますように。

そんなふうに思っているうちはきっと
わたしは、ダリアの首を落とせない。


摘んだダリアたち
少しのあいだ、一緒に暮らします。


※now playing




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