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頑張らなきゃ、って思ってた (グッバイ2022)

2022年、最後のひとりごと

相変わらず、お布団との純愛を貫いている。

ああ、純愛だったらよかったのになあ。
これは、惰性だ。
眠くないときも、転がっている。
動けないのか、動きたくないのか、もうよくわからない。

これは、「既に具合が悪い」か「具合が悪くなる前兆だ」ということが
2022年、最大の発見だった。

これはすごい
自分を、「怠惰だ」と責める回数がぐんと減った。
実際には怠惰なのだろうけれど。
すこやかに生きよう、と思って選択を繰り返せるようになったような気がする。

2021年の終わりを、覚えている。

ミュシャ展に行って、
ミュシャが見出されたのが、35歳くらいだったと知って(それまでは工場で働いていたとか)
ああ、わたしと同じくらいの年じゃん、わたしも頑張らなきゃ。

そのあと2ヶ月間、いずれもらえる症状手当があるにせよ、仕事をしないと決まっていたのに、節約しなければ、とわかっていたのに
買ったミュシャのタペストリーは、いまでも自室に揺れている。
ドアを閉めたとき、わたしにだけわかる場所。
いまでも、見つめている。

そのあと、友達の家に行って、初詣じゃなくて、あれなんていうの?
年末のうちに、神社に行くやつ。

夜までのんびりして、それから帰ってきて、「2021年のうちに」なんて慌ててエッセイを書いた。

慌てて書こう、と思ったことを覚えている。

あのころは毎日熱を出していて、ミュシャ展も、友達の家も行っている場合じゃなくて、
ただ、これから長い休みが続くんだから、倒れてもいい、というつもりで出掛けた。

書かなくては、と思っていた。
書きたい、と願っていた。
人生でいちばん、「書けない」と唇を噛み
生まれてはじめて、「書いたら死ぬ」という恐怖を味わった。
言葉にすると信じられないけれど、そういう身体だった。
ぜんぜん言葉がでなくて、友達ともまともに会話ができなかった。
まともに会話しなくてもいい友達としか会っていなかった。

2022年の終わり、わたしは新しい部屋のベッドに転がっていた。
動きたくないと、動けないのはざまで、ぼんやりと「頑張ろうとしすぎたなあ」なんて思っていた。

だってそうじゃなければ、許せなかった。
バンドを辞めたときの、スコーーーンと抜けてしまった感覚に、いま思えば似ている。

「”バンド名”のまつなが」という肩書と、スタジオトライブに追われる日々から抜けたあと、自我を保つのに必死だった。

自我を保つために、ちょうど始めていたのがnoteで、居場所がないから毎日更新をして、そうしたら病気になって
書けなくなって、
書きたいと願って、
書ける体力のすきまを見つけては、書かなくてはと焦って。

2021年はなんの成果もなかったから、2022年は頑張らなきゃって、
懸命に活動履歴をつけて、本を読んで映画を見て、迷わないように、自分を責めないように記録をたくさん残して

ああ、たくさん頑張ったなあ。

結果的に、毎日更新の1000日を迎える手前で引っ越しがあって、ぜんぜん頑張らなくて、這うようにピアノだけ弾いて
それでもちゃんと新しい家で終わりを迎える2022年。
「引っ越しってさ、たいへんだよね」と言われたことに救われたりした。
もう30も半ばだし、もうアラフォーだし、引っ越しなんて何度もしたから、勝手もわかっているし、大変とか言っている場合じゃないなあ、と思っていたのに。
そう、大変だったのだ。

引っ越しにはたくさんの友達がきてくれて、
その前には友達のワンマンライブで、たくさんの懐かしい顔を見て
ここ2年くらい、人にあまり会えていなかったから、なんだかびっくりしちゃって。
なんだ、わたしってこんなにもたくさんの友達に恵まれていたんだ。
そしてこのひとたちは、わたしがしたこととか、していることとか、そういうことを理由に友達でいてくれるんじゃないんだ。
うっかり出会ってしまって、たぶん深く嫌う理由もなくて、お互いもうおとなで、懐かしい空気もあって
信じてもらえている、と思った。
別にわたしが何者でも友達でいてくれるだろうから
わたしのほうが、「友達として恥ずかしくないような選択」をのびのびっと続けていけば
きっとそれでいいんだ、と思えた。

まぬけなくらい、ずいぶんと救われてしまった。

年末は部屋を片付けて、年賀状をたくさん書いた。
いままで、エッセイを書いたあとにしか心の自由時間ってなかったんだけど、先に年賀状を書いたら良い気分だった。
書くことが好きだから、エッセイでも手紙でもどっちでもよかったらしい。

もう、ほんとうに毎日更新なんてむいてないんだよ。
なにを書いていても、身を削ったり、丸裸にするような文章しか書きたくないんだから
毎日削ったら痩せちゃうよ。
2022年は、体重を7キロ落としました(えらい)(ダイエット頑張った)

年末、新しい部屋で
エアコンをつけながら、UAなんて聞いちゃって、
のんびりしゃべるようにエッセイを書けて
わたしらしくてしあわせだなあ、と思う。

昨日、友達が鏡餅を買ってくれて、また別の友達から「賀正」って札のついたお花が届いて
ようやく、年末だなあなんて思っているわけで
ただ、のんびりしている。

31日から3日までは、予定を入れずにのんびりすることにした。
これがすごいことで、
この1年間、具合が悪くて結果的に4日連続で家を出れなかったことはあっても、4日間休むことはなかった。
連休を取るときも、片方は予定があってとか、そんなのばっかりで
身体が動くときには少しでも働いて
身体が動かないときは、罪悪感と「明日は仕事に行けるだろうか」という不安でベッドに倒れていたというのに。

年末っていうか、なんもしなくていい。

結局、エッセイを書いている。
このあと、最後の年賀状を書く。

2022年の活動履歴は、12月分だけすっぽりと抜けてしまったけれど、年が明けたら書くかもしれない。
好きな映画とか、本の話とか、したいからね。

したいからね、っていう気持ちで生きたい。
2023年は、「しなきゃ」じゃなくて「したい」を貫けるコンディションで、できるだけ過ごしたい。
いやほんとうに、元気があればなんでもできるっていうか
人間は筋トレしながら落ち込めないっていうか
そういう感じ。

「君は、弾かなくても生きていける。そのことを受け止めなくてはだめだよ」

右手が動かなくなったわたしに、そう言ったアイツを
いまでもぶん殴ってやりたいけれど
たぶん、そういうことだと思う。
アイツはいまでも歌っているから、でもやっぱり、そういうことだと思う。

そして、この部屋で過ごすこのさきの数年は
なんていうか、ほんの少しの無敵状態をまといながら
ふらふらと突っ込んでいきたい。

で、転んでたら手を貸して欲しい。
助けて、って言うから。
助けて、って言えるわたしでいるから。
そういうふうに、生きたい。



本当は、1000日の連続更新を華麗に祝して
これからは毎日更新しません〜〜〜っていう話をnoteにまとめて、音声配信もして
ついでにお祝いの品とかもらっちゃってとか
そういうふうに考えてたんだけど
ぜーーーんぜんうまくいかなくて

それなのに、そっちのほうが圧倒的にわたしらしい。

欲しいものリストを作ることだけは相変わらずおもしろいと思えるので
これからしばらくぶらさげておきます。



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