見出し画像

ディムナの親指

右手の親指が痛む。
ああ、最悪な気分だ。

痛んでいるのは、古傷だ。

もう、10年ほど経つだろうか。
中野に越したばかりのときだった。
自業自得とはいえ、深い心の傷をなんとか癒やし、さあこれからだと思った。
「これからはきっと、良いことが起こるよ」
「音楽家として優位に立ったのは、君の方だ」
ようやくその言葉を、飲み込んだときのことだった。

このときのことを、何度か誰かに話そうとした。
あの日の経験が、誰かの希望になるならば話すべきだ。
いまだって、話そうと思っている。

ただ、どうしても目の奥が重く、疼く。
この痛みを引き裂いて、こぼれ落ちた涙を置き去りにして、記憶を手繰るのは骨が折れる。
そう、折れていたんだよ、わたしの骨。

記憶を失っている。と思う。
怪我をしたときと、同居人が鬱病だったときのことは、正直あまり覚えていない。

事実だけ述べれば、ピアノが弾けないとか、蛇口やファスナー、洗濯ばさみを掴めないとか、お箸を持てないとか、そんな感じだった。
利き手だった。

ピアノが弾けない、っていうのがもう、なんだか充分過ぎた。
相方は結婚して、恋人が新しいバンドを始める中
わたしはどんな気持ちで、この絶望と孤独に立ち向かったか、覚えていない。

結局、手を使うライブハウスの仕事はやめて、恋人と別れて、新しい仕事を始めてからも、右手の痛みにはずいぶんと悩まされた。
よくなったと思っても、眠れないほどの痛みに襲われたり、痛みに耐えながらライブをしたり、そんなのばっかりだった。
もう、あんまり覚えていないけど。

右手の親指が痛む。
いまではピアノを弾く回数がうんと減ったので、それほど困ることはなくなったけれど
ときどきこうして、実家の隣人みたいに、忘れられない距離感で肩を叩かれる。

「親指が、疼いている……」

敬愛するダンまちの”フィン・ディムナ"が、同じことを言っていることに気づけたのは、つい最近だった。
彼の親指は「なんかヤベェこと」が起こる前兆として疼くそうだ。
フィンとお揃いね、なんてようやく笑えるようになった。

ようやく、ようやく
十余年のときを経て

ああ、でも
未だこんなにも痛むのか……

なんて思っていたら、なんのことはない。
傷だった。
1センチほどの傷、たぶんダンボールかなにかで切ったそれが、じくじくと痛んでいる。
傷口はうっすらと腫れ、熱を持っている。

なァんだ、なんだーーー
そういうことね。
拍子抜けだよ。なんだよ。

ああ、でもよかった。
こんなに小さい切り傷ならばきっと
きれいに治っちゃうんだろうから。

この記事が参加している募集

#今こんな気分

74,641件

スタバに行きます。500円以上のサポートで、ご希望の方には郵便でお手紙のお届けも◎