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あなたさえいれば

たばこを、辞めなければよかった。と思う。

医者に辞めろと言われたので、すっぱりと辞めた。
ニコチンを失って苦しんだのは1週間程度
口寂しさで苦しんだのは、そこから更に数週間。
買っておいたガムもぜんぜん減らなかった。
体重も増えなかったし、寝起きもよくならなかった。
わたしのからだは、思ったよりも薄情だった。

辞めなければよかった、という表現は正しくないかもしれない。
息を切らせながら吸うたばこに、限界を感じていたのも事実だ。
辞めないですむからだでいたかった。
この表現がいちばん正しいのだろうけれど、的確すぎてせつなすぎる。
だって、そりゃあそうだろう。

辞めたくなかった。
このあたりで勘弁して欲しい。
そう、わたしは煙草を辞めたくなかった。と思う。
ときどき、思う。

いまでもたばこを吸いたいかと問われると、実は少し困る。
最後に吸ったたばこは苦しい記憶だったので、積極的に吸いたいとは思えずにいる。

ただ、いまでもうっかりとたばこに火をつけてしまいそうになる。
ほんとうに、うっかりと。
赤信号なのに、道を渡りそうになって立ち止まる。
「ああ、赤だった」
あの感覚に似ている。

深緑の(という表現が合っているかわからないけれど)
アメリカンスピリットさえあれば、わたしはどこへでも行けたのに。

どこでも、不安を吐き出しながら
わたしは、わたしでいられたのに。

ノイズキャンセルのヘッドフォンをして、アイマスクをつける。
ヘッドフォンからは、何も流れない。

換気扇の音とか、除湿機の音とか、コップを置く音とか、フライパンが跳ねる音とか
そういうものが、ぜんぶ気になる夜がある。
わたしは、耳をふさぐ。
以前は耳栓を使っていたのだけれど、あれはすぐに行方不明になってしまう。
ヘッドフォンはいい。
ずうっと、わたしを守ってくれる。

そしてすうっと、沈んでゆく。
暗闇の中、わたしはひとりだ。

そして、
わたしはわたしだ、と確信する。

ノイズキャンセルのヘッドフォンと、アイマスクの組み合わせは煙草に似ている。と思う。
どこでもいつでも、わたしがわたしになれるところが似ていると思う。

生家のベランダで、一度だけ煙草を吸ったことがある。
24歳くらいのときだと思う。
生家は居心地が悪くて、でも楽しまなければいけない気がして、はやく帰りたかった。
煙草を吸ったときだけは、息ができた。
あのときに見た景色だけは、うすぼんやりと覚えている。

いま、ヘッドフォンと一緒にいられるならば、生家にも帰れる気がする。
帰りたくはないけれど。
ぎりぎり、耐えられると思う。

もしわたしが立ち尽くし、
わたしであることを見失っているならば、スターバックスに連れて行って欲しい。
目の前できみが笑ってくれたら、それだけで救われると思う。

もし、それが叶わないならば。
このあたりの曲を、いつものヘッドフォンから流して欲しい
1曲めからで構わない。


※now playing





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