あなたさえいれば
たばこを、辞めなければよかった。と思う。
医者に辞めろと言われたので、すっぱりと辞めた。
ニコチンを失って苦しんだのは1週間程度
口寂しさで苦しんだのは、そこから更に数週間。
買っておいたガムもぜんぜん減らなかった。
体重も増えなかったし、寝起きもよくならなかった。
わたしのからだは、思ったよりも薄情だった。
辞めなければよかった、という表現は正しくないかもしれない。
息を切らせながら吸うたばこに、限界を感じていたのも事実だ。
辞めないですむからだでいたかった。
この表現がいちばん正しいのだろうけれど、的確すぎてせつなすぎる。
だって、そりゃあそうだろう。
辞めたくなかった。
このあたりで勘弁して欲しい。
そう、わたしは煙草を辞めたくなかった。と思う。
ときどき、思う。
いまでもたばこを吸いたいかと問われると、実は少し困る。
最後に吸ったたばこは苦しい記憶だったので、積極的に吸いたいとは思えずにいる。
ただ、いまでもうっかりとたばこに火をつけてしまいそうになる。
ほんとうに、うっかりと。
赤信号なのに、道を渡りそうになって立ち止まる。
「ああ、赤だった」
あの感覚に似ている。
*
深緑の(という表現が合っているかわからないけれど)
アメリカンスピリットさえあれば、わたしはどこへでも行けたのに。
どこでも、不安を吐き出しながら
わたしは、わたしでいられたのに。
*
ノイズキャンセルのヘッドフォンをして、アイマスクをつける。
ヘッドフォンからは、何も流れない。
換気扇の音とか、除湿機の音とか、コップを置く音とか、フライパンが跳ねる音とか
そういうものが、ぜんぶ気になる夜がある。
わたしは、耳をふさぐ。
以前は耳栓を使っていたのだけれど、あれはすぐに行方不明になってしまう。
ヘッドフォンはいい。
ずうっと、わたしを守ってくれる。
そしてすうっと、沈んでゆく。
暗闇の中、わたしはひとりだ。
そして、
わたしはわたしだ、と確信する。
*
ノイズキャンセルのヘッドフォンと、アイマスクの組み合わせは煙草に似ている。と思う。
どこでもいつでも、わたしがわたしになれるところが似ていると思う。
生家のベランダで、一度だけ煙草を吸ったことがある。
24歳くらいのときだと思う。
生家は居心地が悪くて、でも楽しまなければいけない気がして、はやく帰りたかった。
煙草を吸ったときだけは、息ができた。
あのときに見た景色だけは、うすぼんやりと覚えている。
いま、ヘッドフォンと一緒にいられるならば、生家にも帰れる気がする。
帰りたくはないけれど。
ぎりぎり、耐えられると思う。
*
もしわたしが立ち尽くし、
わたしであることを見失っているならば、スターバックスに連れて行って欲しい。
目の前できみが笑ってくれたら、それだけで救われると思う。
もし、それが叶わないならば。
このあたりの曲を、いつものヘッドフォンから流して欲しい
1曲めからで構わない。
※now playing
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