見出し画像

さよならに慣れたふり

「わたしは、絶対に誰かと一緒に住むなんてできないなあ」
ぽつりと、声は放たれた。
「ひとりの時間が必要だし」というのには、激しく同意だし、
もちろん例に漏れずわたしも、「誰かと一緒に住むなんてむりだ」と思っていた。

「だって、いなくなったらさみしいじゃないですか」

鳴り響いた言葉は、わたしの首をそっと締めた。

それでもきっと、生きていけるのだと思う。
ひとりで暮らしていても
ふたりが、ひとりになっても
生きてゆくのだと思う。
いつだって、寂しさを伴いながら。

ひとりで寂しさを感じるように
他人との隙間にだって、寂しさを感じる。

そして、どれだけ壮絶な
致し方のない、納得できるような別れ方をしても
失うというのは、寂しいということだ。

遡れば、学校を卒業するときも、希望より、絶望的な寂しさに囚われていた。
夏休みが終わるのだって、両親と離れ難くって泣いたことがある。小学生の頃だ。

念願叶って、というときも泣きたくなる。
仕事を辞めるときも、引っ越しをするときも。

ふいになくしたピアスも、
割れてしまったお皿も
使い古したタオルとだって、別れるのは寂しい。

買い換えよう、と思って浮かれて買ったシーツだって
古いものを捨てるときには、ぎゅっとした気持ちになる。

別れは、大きさを問わずに寂しさを伴うものだ。

寂しさを理由に生きていかない、と決めている。
寂しいから、をいちばんの理由にしてしまうと、どこにも行けなくなる。
環境も変えられないし、ピアスをなくしなたら泣き続けなければいけないし、タオルとだって別れられなくなってしまう。

寂しさは、うまいこと埋まらない、ということもわかってきた気がする。
あなたのとなりで、わたしは時々寂しいと思う。
そして、あなたがいるから寂しく思ってしまうのかもしれない、と気づく。
抱きしめて繋がれた体温は、絆創膏みたいなもので、傷と外界のあいだに薄い膜を貼ってくれるだけで、治してはくれない。
そういうことを、わたしはもう知っている。

「そりゃあ、いなくなったら寂しいよ」と、わたしは笑った。

そりゃあ、寂しいんだよ。
夜は枕を濡らしているよ。

でも、いまは「それがなんだっていうの」って
笑うしかないじゃないか。




スタバに行きます。500円以上のサポートで、ご希望の方には郵便でお手紙のお届けも◎