さよならに慣れたふり
「わたしは、絶対に誰かと一緒に住むなんてできないなあ」
ぽつりと、声は放たれた。
「ひとりの時間が必要だし」というのには、激しく同意だし、
もちろん例に漏れずわたしも、「誰かと一緒に住むなんてむりだ」と思っていた。
「だって、いなくなったらさみしいじゃないですか」
鳴り響いた言葉は、わたしの首をそっと締めた。
*
それでもきっと、生きていけるのだと思う。
ひとりで暮らしていても
ふたりが、ひとりになっても
生きてゆくのだと思う。
いつだって、寂しさを伴いながら。
ひとりで寂しさを感じるように
他人との隙間にだって、寂しさを感じる。
そして、どれだけ壮絶な
致し方のない、納得できるような別れ方をしても
失うというのは、寂しいということだ。
遡れば、学校を卒業するときも、希望より、絶望的な寂しさに囚われていた。
夏休みが終わるのだって、両親と離れ難くって泣いたことがある。小学生の頃だ。
念願叶って、というときも泣きたくなる。
仕事を辞めるときも、引っ越しをするときも。
ふいになくしたピアスも、
割れてしまったお皿も
使い古したタオルとだって、別れるのは寂しい。
買い換えよう、と思って浮かれて買ったシーツだって
古いものを捨てるときには、ぎゅっとした気持ちになる。
*
別れは、大きさを問わずに寂しさを伴うものだ。
*
寂しさを理由に生きていかない、と決めている。
寂しいから、をいちばんの理由にしてしまうと、どこにも行けなくなる。
環境も変えられないし、ピアスをなくしなたら泣き続けなければいけないし、タオルとだって別れられなくなってしまう。
寂しさは、うまいこと埋まらない、ということもわかってきた気がする。
あなたのとなりで、わたしは時々寂しいと思う。
そして、あなたがいるから寂しく思ってしまうのかもしれない、と気づく。
抱きしめて繋がれた体温は、絆創膏みたいなもので、傷と外界のあいだに薄い膜を貼ってくれるだけで、治してはくれない。
そういうことを、わたしはもう知っている。
*
「そりゃあ、いなくなったら寂しいよ」と、わたしは笑った。
そりゃあ、寂しいんだよ。
夜は枕を濡らしているよ。
でも、いまは「それがなんだっていうの」って
笑うしかないじゃないか。
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