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ひとつが、積み重なってゆくこと

何日か前、あまのさんから追加の写真が届いた。
撮影に出掛けた合間に撮った、風景の写真が数枚。

わたしのnoteの更新が続いているのは、半分くらいあまのさんのおかげだ。
自分で写真を撮るのはうまくないし、
ときには、記事を描くより写真を選ぶのに時間がかかってしまうこともある。
最近、記事の更新本数を少しあげていたので、日に3本投稿すれば、10日で30枚も写真を選ばなくてはいけなくなる…
ああ、数にすると気が遠くなってしまう…

LINEのアルバムから、あまのさんの写真を選ぶのはたのしい。
そりゃあ、クレープの記事を描けば、クレープの写真をほかから探したりするけれど
自分の気持ちを書いたりするときは、あまのさんの写真を頼る。
なんとなく、寄り添ってくれるものが常にある気がする。

それでも、記事の更新本数が増えて
あまのさんの限りある写真を出し惜しみしたりもしている…
ゆっくり、大事なときに使おう、と思っている。


「少なくてごめんね」と言われた写真だけど、そんなことはない。


あまのさんから共有を受けている写真は、190枚になった。
190枚の写真って、「たくさんの写真」だと思う。
実際に、たくさんあって助かっている。

でも、「たくさん」の前に
わたし、どうしても忘れたくなくて。

190という塊が、目の前に転がっているのではなくて、
1枚の写真が、190枚並んでいるということ。


同じ190だけど、
「たくさん」って一括りにするんじゃなくて、
「一枚」を190枚用意してもらったこと。
積み重ねてもらったこと。
たった1枚を、何度も何度も重ねて、ここまできたこと。

何かが「たくさん」になると
「ひとつ」の形が曖昧になってしまうことがある。
もちろん、いまは190枚だから、1枚ずつの写真を見つめることができる。
それが、一万枚になったら、もうゼロの数だってわからないし、
ひとつずつを見つめることはできないけど、

魔法じゃないんだ。
急に増えたんじゃない。
ちゃんと「一」を積み重ねたんだ。
わたしはそのことを、忘れたくない。


お客さんがたくさん来てくれたって、
それは「たくさん」って名前の人が来たんじゃなくて、
AさんとBさんとCさんが来てくれて、順番に数えたら100人になっただけだし、

口座に100万円貯めることができても、
それは、1万円ずつとか10万円ずつ貯めたのだろうし、
仮に、一口の仕事で100万円もらえたとしても、
「100万円もらえる仕事」をできるようになるまで、
ひとつずつ積んでいくしかない。


言葉にすると、「小さいことでも毎日コツコツ」みたいな話になる。
ありふれて、使い古された言葉だけど
わたしの中にある、「たくさん」と「ひとつ」を切り分けて、
「ひとつ」が集まって「たくさん」になるという、この事実と気持ちを
これからも、忘れずにいたい、と思う。

この先の人生で、どれだけの「たくさん」のものと対峙することになったとしても


photo by amano yasuhiro


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