なんにもしない
今日は、なんにもしなかった。
1週間ほど静岡で療養して、ずいぶんと元気になって帰ってきた。
静岡のあの空気と、会ってくれた人に感謝している。
そして、笑って送り出してくれた友人たちにも。
スガシカオのライブを見るために東京に戻って
また友達と会って、お茶して、ポケモンセンターではしゃいで
帰りも時間あるから飲みにいこうと行った先で、大音量でユーミンが流れていて(スガシカオのライブは旧渋谷公会堂。同日、代々木公園ではユーミンのライブだったらしい)、スガシカオの話はほとんどしなかった。
今日は、溜めてしまった占いをやったり、手紙を書いたりしたかったのだけれど、昼まで寝て、ごろごろしてごはんを食べて、また寝て、起きてごはんを食べて、アニメを少し見て、0時直前に仕方がなく起き上がって、こうしてnoteを書いている。
(占いのモニターさま、お待たせしてしまってすみません… モニター枠まだ空いてます)
もう後ろ指さされても構わないけれど、昨日は風呂にも入らずそのまま寝て、0時直前のいまもなお、昨日着ていたスウェットを着ている。
顔も洗っていないし、コンタクトも外していない。
もちろん外には一歩も出ていないし、食べるだけ食べて洗い物も放置している。
もちろん料理もしておらず、冷蔵庫の作りおき(作ったのはわたしではない)をもそもそと食べるだけ。
SNSの通知は増えるばかりで、昨日届いたLINEとDMはさっき返した。
今日は、なにもしていない。
なんとなく、noteには何かあったこととか、心が動いたこととか、
やっぱり見栄を張って、ちょっと良いことなどを書いてしまう。
SNSって、たぶんそういうことだと思う。
それがきらきらと輝いて、ずっと誰かを励ますと同時に、その輝きに瞳を焼かれるような苦さがある。
なにもしていない、ではなく、ついつい「何もできなかった」と思いがち。
だって、隣の芝生はいつでも青々と茂っているのに
自分にもやりたいことがあったはずで、でもそれすらも見失って、誰かの冒険譚を聞いて、今日もユニバーサルスタジオから届いたポケモンGOのギフトを受け取ったりする。嬉しくも複雑な気持ち。
ずっと、プロフィールに何を書こうか悩んでいる。
わたしはこうしてnoteに書いているのは、恐れ多くも「必要な誰かに届いて欲しい」などという欲もあるからだ。
あのとき言って欲しかった言葉を、そっと瓶に詰めて、インターネットの海に投げる。
じゃあ、瓶の中には何が入っているかという、ラベルみたいなものが、インターネットに於けるプロフィールだと思う。
ひとつの作品を読んでもらうより前に、人目につくもの。
ラベル、あるいはジャケット
小説でいうならばタイトル。
「誰か」にたどり着くために必要な、その言葉を探していた。
最近、BPM80とか、適温という言葉を使っていた。
秋の、熱くなく冷たくないお茶のその感じとか
BPM80は、コンプレックスだった。自分で好きにピアノを弾くと、だいたいそれくらいの速度になってしまって、いつも同じ感じでイヤだなあ、と思っていたのだけれど、
これだけ貫けるのならばもう個性ではなかろうか。
そしてそれは、適温に通じる「ちょうどよさ」のような気がする。
一時期は「ダメなヤツ代表」と書いていたこともある。
今でもその気持ちは変わらなくて、SNSの眩しさじゃなくて、なんていうかやっぱり適温的な、クズでも生きてる、みたいな
きらびやかじゃないわたしでいたかった。
スガシカオのライブは聞き覚えのあるイントロまでで、曲名を思い出すまで少し時間がかかるものが多かった。
サビまでくると、だいたいわかる。
けれどもこれは、そのAメロで少し泣いた。
二十歳を少し過ぎたころから、20代の半ばくらいまで住んでいた玉川学園前という駅は、坂ばかりで、わたしもやっぱり坂の途中に住んでいた。
バイトに遅刻しそうになりながら、今日もなんだか昨日と同じ一日みたいで
身体も気持ちも時間も、ぜんぶが坂道から転げ落ちそうな気持ちで、この曲を聞きながら出勤していた。
わたしの言いたいことの7割くらいは、もうスガシカオが歌にしていると思う。
そう思いながら生きてきたけれど、ああ、これだったんだなあ。と思った。
コノユビトマレ
どうしようもなくても、バイトに遅刻しちゃいそうでも、情熱を使い果たしても、希望見つけるのやんなっちゃっても
隣の芝生の青さに目を焼かれても、失ったことが幸福だとしても不幸だとしても
コノユビトマレ、誰でもつかめる、その指のひとつに
そう思ったら、「何もしなかったこと」を書こうと思った。
自分を責めないでいるということも、なかなかに体力が要る。
気を抜くとすぐに「何もできなかった」と思ってしまう。
眠ることにも、誰かの指に捕まることにも、「したほうがいいよ」がなかなかできない、ダメなことばっかり数えてしまう、
元気でいることどころか、正常でいることもなかなか難しい。
みんなが当たり前にしていることができなくて、置いてゆかれていくような
それでも、
燃えたぎる情熱がなくても、あなたがこの指に掴まれなくても
明日もあさっても、指を掲げて待っている。
それはある日はボロボロで、触りたくないほど汚くても、地中に埋もれたり、海に流されたりする日もあるけれど
調子の良いときには、見栄を張って眩しいふりをすることもあると思う。
それでも、
ここにひとつ残っているユビみたいに
ひとりで綴り続ける交換日記みたいに
ここに言葉が残ればいいと、あなたからもらった勇気を
記していければいいと、思っている。
MVが14年前?? ウソでしょ??
このアルバムが出たころ、わたし大学生??だった??
スガシカオのこと(今回のライブ同行者へ宛てた手紙、オススメ曲集)
去年のライブ感想文
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