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やさしくて適切な

いちばん小さな花瓶に、
赤い薔薇と、白いトルコキキョウを挿した。

立て続けにお花をもらって、うれしい悲鳴だった。
少し前までは「部屋に花を飾る暮らしなんかできない」と思っていたのに
たまに花屋に通うのが週1度になり、
周りからも「花が好きな人」と思ってもらえるようになった。
ひとってこうやって、変わってゆけるんだな。
いまだって、花の名前なんかほとんどわからないのに
花は好き、だと思う。
詳しくなくても、わたしなりに。

ちょうど「えい!」と新しい花瓶を買ったところだった。
3つの花瓶と、ひとつのコップに花を飾っている。

先週の花
今週の花。つぼみだった百合が咲きました。

もらったお花を、どこの花瓶に挿すのか
考えている瞬間は、いまのわたしが抱えている「幸福な時間」のひとつだ。
組み合わせを考えて、にんまりとする。
ああ、かわいい。

「飾りすぎないこと」に気をつけている。
たぶん花瓶それぞれに積載量がある。のだと思う。
もちろん、花の組み合わせにもよるのだろうけど、そこまではわからない。

いちばん小さな花瓶には、水があまり入らない。
だから、たくさんの花を挿さないようにしている。
もっと入る、というのを、ぐっと堪えて
だいたい、ふたつかみっつ。それにグリーンをひとつ。
それがきっと、この花瓶に心地良い量なのだと勝手に思っている。
花たちが暮らしやすい、やさしい環境なのだと。

赤い薔薇と、白いトルコキキョウ。トルコキキョウをは、花と蕾で一輪

何事にも積載量とか、適切な、っていうのがあるんだろう。
からだにも、こころにも、暮らしにも。

眠りすぎてしまったわたしのからだも、
それは、適切だったのかもしれない。
普段とか、一般的と比べれば多すぎたかもしれないだけで。

「年末年始くらいは自分に甘くしても良い」と言ったあと、
「金欠なのでプレゼントはまた今度」と告げた兄だって
これはこれで、美しい適切なのではないか、と思う。
「自分に甘くしても良い」なんて言って、自分の散財を許そうとしているところも、可愛いではないか。

少しずつ、トルコキキョウのつぼみが開いてきた。
きっとこれでいいのだと思う。
心地の良い適切さを探す時間の中に、やさしさがあれば。きっと



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