想像力の優しさが、世界をめぐってゆきますように
少し前にTwitterで見かけてから、駅周りでも看板を見るようになった。
傘を横に持ったとき
その傘は、子供の目の高さになる。
だから、横向きに持つのはやめよう、或いは気をつけよう。という注意喚起。
傘を横に持つことに関しては、ずいぶん前から嫌悪感があった。
勝手に「殺人持ち」と呼んだりして
だって、危ないじゃん。
あの持ち方してる人に限って、傘を振り回しているわけよ。
で、刺さる。
死なないけど、殺人持ち。
そう、傘を横持ちしてる人に限って振り回すし
歩き煙草してる奴に限って、対向者の手で煙草を持つの。勘弁して欲しい
◆
想像力、ではないかと思う。
すべては、想像力が世界を優しくしてゆくのではないか、と。
傘を横向きに持ったら、前後の人に当ててしまうかもしれない
歩き煙草をしたら、すれ違う人に煙草の火をぶつけてしまうかもしれない。
そうやって想像することができたならば
世界はきっともっと、優しくなる。
でも、横向きの傘や、手に持った煙草が、子供の目の高さだとは思わなかった。気づかなかった。
わたしの想像力なんて、うんと小さい
子供のいないわたしは、子供のことがよくわからない
背の低い苦労はいくらでも語れるけれど、背の高い不便なんて検討はつかない。
わたしはうんと、小さな世界で生きている。
みんなそれぞれの困りごとがあって、他人の困りごとなんて、想像するのは難しい。
母が、盲導犬と関わりのある生き方をしていなければ、わたしは盲導犬を援助しなかったかもしれない。
それでも、わたしは考える。
出来得る限りの、想像をする。
そしてその想像は、うんと不完全なものだと自覚する。
◆
わたしたちは考える。
「あなたのために」という枕詞を飲み込んで
それが本当に、自分のためになるのかどうか。
わたしの言葉は、相手を傷つけていないだろうか。
自分のエゴでは、ないだろうか。
そして、わたしたちは見極める。
目の前の人が、出来得る限りの想像をしているのか、と。
◆
不完全な想像と、気遣いの中に生きている。
不完全どころか、間違っていることも多いと思う。
間違えだらけだと言っても過言ではないかもしれない。
でも、見極める。
きっと、わかる。
想像と、愛はあるのかと。
◆
どうか、想像と愛があって欲しい。
少なくとも、わたしの世界はそうまわって欲しい。
想像と愛を持たない人とは、極力関わらないようにしている。
あの日、吐き出された言葉が、ぐるぐるまわる。
◆
どうか、愛と想像力があって欲しい。
わたしと、わたしの愛する人の世界が、そうあって欲しい。
わたしだって、人のことは言えない。
オマエがこんなこと書くのか、って言われたら、ぐうの音も出ない。
でもどうか、想像力の優しさが、世界をめぐってゆきますように。
先生が、卒業アルバムに書いてくれた言葉を、いまでも覚えている。
先生、これがわたしの答えです。
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