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【家族通信】20240104 ぼやぼやと、まあいいか

【家族通信】とは…
基本的に、メンバーシップ限定で書くようなひとりごと、思考の整理。
エッセイでもコラムでも日記でもないので、生産性は低い。
「それでも外面を被って書いている」と思える部分は無料で読めるようにしています。

そういえば、「お正月に実家に帰る」っていつ振りだろう。
大学生の頃に帰った記憶があるんだけど、あれは1年のとき?
2年のときは、成人式の二次会?だけ帰ったような……
そのあとは、帰っていない気がする。

そうだ、「実家に帰りづらい時期」に入ったんだ。
当時仲良くしていた、五つほど年上のお姉さんに相談したことを覚えている。
「いまはちょっと、親に会いたくなくて」
それがすごく薄情な気がして、情けないやら申し訳ないやらで、自分のことを責めていた。
「そのうち、大丈夫になるよ」
ずいぶんと晴れやかに、「なんだそんなことか」みたいに笑ってくれたことを覚えている。

まじかよ、と思ったけど、何年か経ったら(おそらく、当時の彼女の年齢に追いつく頃には)その言葉通り大丈夫になった。
けれども母とは東京で会うばかりで、冠婚葬祭以外で実家に来る機会は、いまでも少ない。
病気にでもならなきゃ、こうして帰ってくることもなかったと思う。


不用心になった気がする。
「むかしはトゲトゲしてたね」って言われたけれど、その通りで
勝手に四面楚歌になっていた。
そういうふうにしないと、立っていられなかった。
そして、「立っていること」や「進むこと」が何よりも尊かった。

最近は、ぼやぼやしている。
まあいいか、と思えることが増えた。
代わりに「絶対に譲らない」それの輪郭が、刻々と際立ってゆくような


とにもかくにも、不用心に帰省してしまい、それがうっかり正月で
やっているお店も少ないし、行きたいところの大半は前回の帰省で行ってしまったし
やることもないので、初詣に行ってみた。

去年、江ノ島で引いたおみくじに、すごく良いことが書いてあって、嬉しくて
今年も江ノ島でおみくじを引きたかったのだけれど、「運気上昇みくじ」という、なんだかよさそうなやつを見かけて、思わず引いてしまった。

金ぴかで、大吉で嬉しかった。
嬉しかったので財布にしまったのだけれど、一日経ったら書いてあったことをすっかり忘れていた。

いま読み直してみたら、要約すると「周りに対して真摯的な態度でいれば、良いことがあるよ」っていう内容だった。
相手の立場に立って、自分の考えを押し付けてはならぬ。みたいな。

こうして書いておけば、しばらく覚えていられるかなと思ったけれど
書くことで満足したあとに忘れちゃうことも多いし
何よりわたしは、自分の書いたものを読み直すのがあまり好きじゃないから、どうせ忘れちゃうんだろうなと思う。

「どうせ忘れちゃう」ことを、薄情だと思っていた。
そして、「薄情であること」を、大罪のように思っていた。

友達のことは好き。
でも、友達以外のことはどうでもいい、嫌いなやつには付き合わない。
わたしの友人は少数精鋭で、いろんなものをどんどん切り捨てて、できないことも諦めて、
ああほんとに薄情だねって。
あるときには、自分にうんざりしていたけれど。


まあいいか、と思える。最近は
ようやく、「自分の積載量」の小ささを認められたからだろう。
あれもこれも、背負っては走れない。
流されやすいから、誰かのヘイトにはぐわりと心臓を削られる。
無駄な痛みなどで、削っていい部位はないのだ。
親愛なる人のために、ひとつずつ
この身を暖めるように生きてゆきたい。

ね、「この身を切り裂いてゆきたい」って言わなくなったの、おとなになったでしょう?
大切な人にも、むやみに身を切り裂いて欲しくないからね。
わたしもとりあえず、暖めたり、流したりすることにした。
それで足りないとき、いざってときには、ブンッと切り裂いてやるのだ。


今は、自分の身を大切にしながら、少しずつ書いている。
やろうと思ったタスクがあってスタバまで来たのだけれど、うまく集中できない。
やりたいことも進んでいないのに、クッキーを食べるのは憚られる……などとケチくさいことを思ってしまうのは、ずいぶんとわたしらしい。

クッキーが美味しい、このまま帰ってもいい。
スターバックスで落としたわたしの数百円は、決してむだじゃないい。
今は、そんなふうに思えるようになった。

これも、「まあいいか」ってやつ。


下記は、メンバーシップ限定で
1月に入ってから【家族通信】というタイトルで書くことが増えた、その理由や、現在の執筆状況についてなど


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