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わたしは、故郷の案内ができない

まだ、オフィスで働いているときの出来事だった。
愛知の観光の話になったときに、愛知県出身の友達が「そのへんは地元だから、案内できるよ!」と言っていた、
その笑顔が、眩しかった。

眩しかったから、今でも覚えている。


わたしは、故郷の案内をすることができない。

実家にいるときは、車移動だったので、静岡の地名はほとんどわからない。
移動時間を気にしたことがないので、距離感もわからない。
わたしはいまでも、車の免許を持っていない。
観光とか、遠足とか、そういうこともしてきたんだろうけど、中学生以下の出来事なので、ほとんど覚えていない。

わたしにとって、生まれ育った土地との距離感は、実際の距離感よりぐんと離れている気がする。



数年前、めずらしく冠婚葬祭以外で、静岡に帰った。

連休を取り、静岡に一泊することにしたのだけれど、わたしはホテルに泊まることにした。
母親は、ここに泊まればいいじゃない、と言ったのだけれど、なんだか違う気がした。
ひとりに、なりたかったのかもしれない。
ひとりで、この街を歩いてみたかったのだと思う。


10代の頃の記憶というよりも、
20代以降に植え付けた知識で、わたしは母の実家から電車に乗り、静岡駅に向かった。

静鉄、という電車に、夜ひとりで乗ってみたかった。
(今回の記事のサムネイルとしてお借りした画像が静鉄。時々こうして、何かとコラボした電車が走っている。長さはいつも2車両)
高校生の時は、この電車によく乗っていた。
夜、ぎりぎりの気持ちで。

高校生の頃は、生徒会長をしていた。
ぎりぎりの気持ちで、いろいろ踏ん張っていた。
別に、生徒会長なんで何もしなくたってよかったんだけど、わたしは、そうじゃなかった。
世界を変えられると、信じていた。

車移動が多い土地なので、電車はいつもそんなに混んでいない。
オレンジの光を浴びたわたしが、正面の窓ガラスに映る。
いつも、肩を張っていた。
ガラスに映る自分を見て、「あ、肩にチカラが入ってる。息をしなくちゃ」と、何度も思った。

静鉄に乗れば、あの頃の気持ちを思い出せるかもしれない、と思った。
だけど、電車はただの電車で、車内アナウンスが懐かしいような気もしたし、気のせいかもしれないという、確信の持てない、ちゅうぶらりんの気持ちだった。


ホテルまでの道のりは「懐かしい」なんてものじゃなかった。
わたしはただ、ひとりのおとなとして、地図を見てホテルまでたどり着いただけだった。


翌朝は雨で、わたしは傘をさしながら、街を歩いた。
「街」という。
静岡駅、新静岡駅の周りのあたりを、そう呼んでいた。
みんな、そう呼んでいたと思う。

小学生の頃、レッスンの帰りにひとりで初めて寄ったロッテリア
高校生の頃、よく勉強をしに行ったドトール(なぜか喫煙席に座るのが好きだった)
伊勢丹の1階は、なんだかがらんとしていた。

なんとなく、覚えている。
それでも、店の並びまで覚えているわけではないし「こんなのあったっけかなあ。あったかもしれないなあ」と、
やっぱり、ふわふわしたままだった。


何もなかった、と思う。
それは「静岡はやっぱり東京と違って、物も人も少ない」とか、そういう話ではなくて、
わたしの、感傷の話として、何もなかった気がした。
わかりやすく言うならば、「あの頃のわたしには会えなかった」だと思う。

それを、淋しいとも思えず、わたしは「雨だってわかっていたら、防水の靴を履いてきたのに」と思いながら、見つけた喫煙所で、煙草をふかすだけだった。


友達の笑顔を見たときに、確かにまぶしくて、その半分は寂しさだった。
わたしは、故郷の案内ができない、ということに対する、せつなさ。

そしていまはもう、寂しくないような気がしている。
どうしてだろう。
そういうもの、と思えるようになった。
そういうものでも構わない、と。

noteで、静岡について記事を書くのは、これが初めてではない。
毎日書き続ける中で、この話題には何度かぶち当たるし、いまでも生家の夢をよく見る。もう、10年以上行っていないのに、不思議だ。


わたしにとって故郷とは、胸に突っかかる何か、なのだと思う。
ずっと、突っかかっている。
胸をあたたかく灯したりもしないし、消化もされない。
「帰りたい」と切に願うこともなければ、
友達が静岡に引っ越すと言えば「静岡でよかったな」と勝手に思ったりする。

しいて言えば、
「帰ってこい」「顔を見せにこい」だけではなく、「結婚しろ」「就職しろ」など、すべてに於いてわたしに強要してこない両親には、感謝をしている。



わたしは、故郷の案内ができない。

でも、東京の案内をしろと言われたら、きっとできる。
あなたが行きたい場所に行くための電車を調べられるし、地図も読める。
具体的な場所を挙げてくれないのならば、自分で幾つか候補地を挙げることだってできる。

まあでもきっと、そういうものなのだろう。
東京でのわたしは、自分の足で歩かなければいけなかった。だから案内ができるようになった。


もし、あなたが静岡を案内して欲しいと言うならば、母を紹介しよう。
母が車を運転できる間に、静岡に来てくれればいいと思う。

そしてわたしも、全然知らない静岡の話を聞いて「へえ」なんて言って、
一緒に驚いたり、しちゃうんだろうな。



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