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もう、方言をしゃべれない

最近、「方言でnoteを書く」という記事を、いくつか読ませてもらった。

そしていま現在、Twitterで「#何県民かバレるツイートしろ」というハッシュタグが、トレンドに入っていた。

わたしは、静岡県静岡市の出身で、
静岡市が政令指定都市になったときに、旧清水市が清水区となり、一部地域が駿河区となり、
残り全部が葵区とくくられた。
わたしは、葵区の出身になる。
静岡市が政令指定都市になったのは、わたしが実家を出る、少し前のことだった。


わたしは、故郷の言葉をしゃべれない。

方言がない地域で育ったわけではない。
隣の家に回覧板を置きにいったら、ニホンザルが座っていたことがあったくらい、田舎に住んでいた。
家の前で転んで、飛ばしたサンダルは、まわりが暗すぎて見つけることができなかった。(翌朝もなかったので、たぶん川に落ちた)
祖父母と同居していたし、
よくあるイメージ通り、田舎らしい方言の中で育った。
清水市から嫁いできた母は、祖父母の言葉の一部がわからなかったであろう。

方言は、あった。
祖父母も父親も、近所のおじちゃんもおばちゃんも、
みんな、そういう言葉で話していた。

高校に上がったとき、自分の言葉がまわりと少し違ったことに気づいた。
そのまま話していると「浮いてしまう」という不安もあったし、
それ以上に「通じない」という問題が発生し、わたしは方言の一部を使わないようにした。

それでも、「静岡」という大枠の方言は残り続けて、
大学生進学と共に上京したときには、自分の言葉に対し「なにそれ」と言われた。
わたしの大学は、ひとり暮らしをしている子がそんなに多くなくて、東京とか神奈川、千葉から時間をかけて通ってきている人が多かった。

高校を卒業して、わたしの元に残った方言は、方言っぽくないところがあるというか
圧倒的に方言なんだけど、それは他の地域の人から見たら「方言じゃなくて、変な喋り方」みたいな扱いを受けた。とわたしは思っている。
もう10年以上前の話だから、よく覚えていないけど。
ぜんぜん悪く言うつもりはないんだけど、「あのアニメのキャラの喋り方ヘンだよね、特徴的だよね」みたいなイメージ。

18歳のわたしにはそれは衝撃で、うまく受け止めることができなかった。
方言を、少しずつ隠すようになった。


もうわたしは、ほとんど方言を話せない。
生まれ育った土地の言葉だから忘れないでしょ、と思われるかもしれないけど
もう、本当に話せない。

母と電話で話すときに、もしかしたら少し方言が出ているかもしれないけど
定期的に話す「静岡の人」も、もう母だけになってしまった。
兄とは極稀に話すけど、兄も上京して10年以上経つし、もともとそんなに方言を話していなかったような気がする。

静岡に帰ると、ちょっとびっくりする。
たまに、静岡の友達のFacebookの投稿とか見ても、びっくりする。
「〜〜〜ら」とか、「〜〜〜だら」と言う地域で育った。
ああ、そういう感じ、そういう言葉だった、と思う。


この感覚を、なんと説明すればいいんだろう。
なんと説明するか、答えがないまま書き始めてしまったのだけれど
書き進めても、答えはないまま、ここまできてしまった。


寂しい、とも違う。

寂しがるのは勝手すぎる。
わたしは18歳のとき、二度と静岡では暮らさないと誓って家を出たし、
生まれ育った方言の強い地域に、もう10年ほど近寄っていないし、父親にも会っていないけど
「帰りたい気持ちを抑えて」という、そういうセンチメンタル的な感じでもないし、
ただ、帰る必要もなく、それを越えるだけの、勇気や興味を、どうしても持てなかった。
だからこれは、わたしの決断で、決して後悔していない。

もう一度、方言をしゃべれるようになりたい、とも思わない。
静岡に帰りたいとも、あんまり思わない。
帰り方ももう、あんまりわからない。
近いんだから、いまからでも帰ればいいんだけど。

20代のころ、東京でも静岡でも「おかえり」と言ってもらえて
それはすごくありがたい気持ちでいっぱいだったけど
その気持ちを放ったまま、おとなになってしまった感じだ。
「どちらも居場所でいい」と思えればよかったのに、
わたしはなんだか、宙ぶらりんのままだ。


あと、「さわやか」の話題も、いつも困ってしまう。
話の流れで「静岡出身です」と言ってみると、「さわやかだよね??」と言われる。

もう県外でも知っている人の多い、静岡県にしかないレストランだけど、
わたしは「さわやか」に行ったことがない。

「さわやか」はもともと、静岡県の西側で生まれたもので、
静岡県中部にお店ができた頃には、わたしはもう静岡にはいなかった。
いつも混んでいると聞くし、「実家に帰ってのんびりする」ということもほとんどしないので、
ずっと行ったことのないままだ。


静岡出身なのにね、
なーんて
なんだかこれも、言い難い気持ちになる。

わたしがSNSのプロフィールに「静岡出身」と書いているのは、
「射手座でO型」って書いているのと大差のない気持ちで、
「あ、わたしも射手座!」みたいな、会話の糸口になればいいな、と思っている。
ただ、それだけの理由だ。
糸口になっても、続く言葉はないかもしれないけど…



もう、宙ぶらりんのままでいい。
答えがないままでいい。
何も後悔したくないし、改善するつもりもない。

冠婚葬祭以外は帰らないし、必要がなければ泊まったりしないし、
その理由を探求したりもしない。
それを、別に悪いことだと思っていないし、寂しさとも絶対に違う。


ただ、わたしはこの、よるべない気持ちを
わたしの決断と人生そのものを
広い海をふわふわと漂うように、抱えて生きていきたいと思っている。



photo by amano yasuhiro


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