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「書けない」と「書きたくない」。(note連続更新150日に宛てて)

noteの連続更新が、150日を越えた。

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無職になるちょっと前から毎日更新していたのだけれど、
無職で過ごす日々が、無為に増えていっているので、少し笑える。
「毎日、やることを決める」
それも、「何をしなくても、誰にも責められない」という状態で決めてゆくことの
幸福さと苦しさを、毎日飽きもせず、噛み締めている。

なんで毎日連続更新しているかというと、「やる」と決めたからで、それが「不可能」ではなかったから。
毎日料理をするより、新しい何かを始めるより、「書くこと」はわたしにとって手っ取り早かったし、嫌いじゃなかった。
そして何かをすることで、社会と繋がりたかったし、「居場所」が欲しかったんだと思う。

免罪符。
noteは毎日頑張るから、無職でも許してよ

世界中の誰も、
(血の繋がった家族も、同居人も)
わたしが無職であることを気にしていないし、責めもしない。
それでもわたしは、許されたかった。

「やる」と決めたことを
「やらない」「できない」人間になることすら億劫で、(本当は少し、怖い)
わたしは、前向きさと皮肉さを絶妙に掛け合わせながら、今日もパソコンの前に座っている。



150日間、「よし!書くぞ!」とか「今日も頑張るぞ!」みたいな
純粋な前向きさで、パソコンの前に座れることは少ない。
パソコンの前に座る前に、ちょっとソファーに沈んだり、ゲームをしたり、だらだら煙草を吸ったりしている。

「書きたくない」
「今日こそはほんとに無理、書けない」
結構毎日、思っている。



150日間続けて思うことは、「書けない日はない」ということだ。

無職なので、時間はある。
毎日更新でネックになるのは、時間だけだと思う。
少なくとも、わたしにとっては。

昨日、晩ごはんを作った人間が、今日は作らないという。
その理由は「作れるスペックがないから」ではない。
やっぱり、時間がないからとか、面倒だからだと思う。
なんとなく、それと同じような気がしている。

「そんな毎日書くネタないよ〜」と思う人もいると思うけど、
わたしは、本当に些細なことを、1000文字以上に膨らませているだけで、その作業はあんまり苦にならない。
むしろ、人生のいろんなことが、鮮やかに見えてたのしいなあ、と思う。

久し振りに、花柄のワンピースを着た、とか

リアルゴールドをおごってもらった、とか

わたしの日常は、本当にささやかだ。

家にひとりでいたって、「雨をずっと見ていて良い気分だった」なんていう記事を書くので
なんていうか、前向きというか、平和というか、
わたしって、そういうところ、あるよなあ。と思う。

もちろん、根本的に怠惰だし、
もう500本以上書いているので、「ネタがないよ〜」と思うこともある。
「あ、こいつまた手紙のはなししてる」と思ってくれている人がいたら嬉しい。いつもありがとうございます。
筆跡、ポスト、郵便局、手紙を書くこと
少しずつ視点を変えて、好きなことは何度も書いている。



「今日は本当に書くことがない」と思ったら、ネタ帳を見る。
思いついたときに、アプリにメモを取っている。

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このへんの内容は、半分くらい記事にしたかな。

メモの内容を見ると、「何を書きたかったか」きちんと思い出せる。
だから、「ネタはある」ので「書けない」わけじゃなくて、
「書きたくないだけなんだよなあ」と、思う。

そして、「暇なのに書かない自分は嫌いだな〜」と
ぼやぼやと思って、今日もパソコンの前に座っている。



書くことをやめたら、別の景色が見えるかもしれない。
と、最近思う。

それでもまずは、書きながら手を伸ばしてみたっていいじゃないか。と思う。
なんと前向きなんだ。

なにか、自分が納得する理由で、立ち止まりたい。

「とりあえず立ち止まる」なんてことをしたら、
わたしは一生、ふとんから出てこない気がする。



150日。
何が見つかったか、わからない。

多くのことが当たり前になって、見失ってしまっている。

そうか、それを整理するのは悪くないかもしれない。
「できるようになったこと」を並べて、褒めてあげるのは、いいことかもしれない。
そういう記事も、近いうちに書こう。

そんなふうに、今日も書くことでわたしは発見をしてゆく。

やっぱり、書く前より格段に良い気分なので、不思議だなあ、と。
わたしは、毎日思っている。


【photo】 amano yasuhiro
https://note.com/hiro_pic09
https://twitter.com/hiro_57p





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