「書けない」と「書きたくない」。(note連続更新150日に宛てて)
noteの連続更新が、150日を越えた。
無職になるちょっと前から毎日更新していたのだけれど、
無職で過ごす日々が、無為に増えていっているので、少し笑える。
「毎日、やることを決める」
それも、「何をしなくても、誰にも責められない」という状態で決めてゆくことの
幸福さと苦しさを、毎日飽きもせず、噛み締めている。
なんで毎日連続更新しているかというと、「やる」と決めたからで、それが「不可能」ではなかったから。
毎日料理をするより、新しい何かを始めるより、「書くこと」はわたしにとって手っ取り早かったし、嫌いじゃなかった。
そして何かをすることで、社会と繋がりたかったし、「居場所」が欲しかったんだと思う。
免罪符。
noteは毎日頑張るから、無職でも許してよ
世界中の誰も、
(血の繋がった家族も、同居人も)
わたしが無職であることを気にしていないし、責めもしない。
それでもわたしは、許されたかった。
「やる」と決めたことを
「やらない」「できない」人間になることすら億劫で、(本当は少し、怖い)
わたしは、前向きさと皮肉さを絶妙に掛け合わせながら、今日もパソコンの前に座っている。
*
150日間、「よし!書くぞ!」とか「今日も頑張るぞ!」みたいな
純粋な前向きさで、パソコンの前に座れることは少ない。
パソコンの前に座る前に、ちょっとソファーに沈んだり、ゲームをしたり、だらだら煙草を吸ったりしている。
「書きたくない」
「今日こそはほんとに無理、書けない」
結構毎日、思っている。
*
150日間続けて思うことは、「書けない日はない」ということだ。
無職なので、時間はある。
毎日更新でネックになるのは、時間だけだと思う。
少なくとも、わたしにとっては。
昨日、晩ごはんを作った人間が、今日は作らないという。
その理由は「作れるスペックがないから」ではない。
やっぱり、時間がないからとか、面倒だからだと思う。
なんとなく、それと同じような気がしている。
「そんな毎日書くネタないよ〜」と思う人もいると思うけど、
わたしは、本当に些細なことを、1000文字以上に膨らませているだけで、その作業はあんまり苦にならない。
むしろ、人生のいろんなことが、鮮やかに見えてたのしいなあ、と思う。
久し振りに、花柄のワンピースを着た、とか
リアルゴールドをおごってもらった、とか
わたしの日常は、本当にささやかだ。
家にひとりでいたって、「雨をずっと見ていて良い気分だった」なんていう記事を書くので
なんていうか、前向きというか、平和というか、
わたしって、そういうところ、あるよなあ。と思う。
もちろん、根本的に怠惰だし、
もう500本以上書いているので、「ネタがないよ〜」と思うこともある。
「あ、こいつまた手紙のはなししてる」と思ってくれている人がいたら嬉しい。いつもありがとうございます。
筆跡、ポスト、郵便局、手紙を書くこと
少しずつ視点を変えて、好きなことは何度も書いている。
*
「今日は本当に書くことがない」と思ったら、ネタ帳を見る。
思いついたときに、アプリにメモを取っている。
このへんの内容は、半分くらい記事にしたかな。
メモの内容を見ると、「何を書きたかったか」きちんと思い出せる。
だから、「ネタはある」ので「書けない」わけじゃなくて、
「書きたくないだけなんだよなあ」と、思う。
そして、「暇なのに書かない自分は嫌いだな〜」と
ぼやぼやと思って、今日もパソコンの前に座っている。
*
書くことをやめたら、別の景色が見えるかもしれない。
と、最近思う。
それでもまずは、書きながら手を伸ばしてみたっていいじゃないか。と思う。
なんと前向きなんだ。
なにか、自分が納得する理由で、立ち止まりたい。
「とりあえず立ち止まる」なんてことをしたら、
わたしは一生、ふとんから出てこない気がする。
*
150日。
何が見つかったか、わからない。
多くのことが当たり前になって、見失ってしまっている。
そうか、それを整理するのは悪くないかもしれない。
「できるようになったこと」を並べて、褒めてあげるのは、いいことかもしれない。
そういう記事も、近いうちに書こう。
そんなふうに、今日も書くことでわたしは発見をしてゆく。
やっぱり、書く前より格段に良い気分なので、不思議だなあ、と。
わたしは、毎日思っている。
【photo】 amano yasuhiro
https://note.com/hiro_pic09
https://twitter.com/hiro_57p
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