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「おまえ、本当に彼氏の好きなものに流されるよな」

「おまえ、本当に彼氏の好きなものに流されるよな」

そんな風に言われたことがある。
6年ほど付き合っていた人と別れた半年後、恋人と呼べるか微妙な男と、同居していたときのことだ。
何を話したときに言われたか覚えてないけれど、同居人の趣味を、わたしが新しく吸収していたときのことだと思う。

昔の恋人は、軽音楽部の先輩だった。

バンドに憧れて軽音楽部に入った、わたしは一般的に言う「クラシックのピアノ弾き」だった。
取り立てて「バンド」というのもが好きなわけではなかったし、詳しくもなかった。
今思い返せば、わたしがバンドに憧れた原因は漫画だったと思う。

「山崎まさよしに憧れて、ギターをはじめた」という元恋人のエピソードは眩しく、
「ピアノ教師の母の元に生まれ、ドミソも弾けない手のサイズのときから、ピアノ教室に通っていた」というわたしには、到底追いつけないような熱量だった。

バンドのことも、音楽のことも、このひとにたくさん教えてもらった。
山崎まさよしのライブにも一緒に行った。
スガシカオとRadioheadを教えてくれたのもこの人で、やっぱり一緒にライブに行った。
山崎まさよしも、スガシカオも、Radioheadも、
いまでも大切な「わたしの大好きなミュージシャン」だ。


彼氏の好きなものには流されたい、と思うのは、いけないことだろうか。

「彼氏」という言葉が、なにやら物事を難解にさせている気がする。

たとえば、「バンドメンバーのオススメの曲を聞く」と言ったら、すごく良いことな気がする。
相手の好きなものを理解した上で、一緒に音を出す。
これってすばらしいことだ。

「友達に好きなバンドのCDを借りる」
別に漫画でもなんでも構わないけど、それだってふつうのことだ。
周りにいる友達が変われば、世界が変わるのは当然だし、
共通の話題ができるのは、お互いにとって楽しいし、嬉しいことだと思う。

そして、すごく当然のことだと思うのに、
なぜだか「彼氏」という言葉を使うと、いやらしいというか、うまく言語化できないけど、
友達とは、ちょっと違ったニュアンスになってしまうような気がするのは、わたしだけだろうか。

なんとなくのイメージで話すけど、
「友達を大事にする人」という言葉は、万人に対して好印象のイメージだけど
「彼氏を大事にする人」というと、「友達を大事にしないやつ」「あいつ彼氏との予定ばっかり優先させる」みたいなニュアンスに、
ちょっと切り替わってしまう場合がある、というような感覚は、わたしだけだろうか。
少なくとも、そういう濁った、ちょっと悪意や蔑みのまじった言われ方をした、とわたしは感じている。

やだやだ、こういうのは好きじゃない。


もし、「自分が好きなものを押し殺して、相手が好きなものを好きになる」なら辞めたほうがいい。
もし、「大好きな友達とお茶をする時間をなくしたくないのに、彼氏に呼び出されたら飛んでゆく」のならば、考え直したほうがいいかもしれないし、そういうしあわせもあるじゃん。
わたしはいつも、友達のしあわせを応援したいけどな。
それが、わたしの常識だと、ちょっと不幸そうって思うことでも。友達がしあわせなら、それでいい。


最近は、同居人と一緒にドラゴンボール超を見ている。

いつだったか覚えていないけど、ドラゴンボールが好きだと言っていたことを思い出して
晩ごはんのときに見るアニメとして、採用してみることにした。
わたしが住んでいた静岡では、夕方はドラゴンボールかキテレツの再放送が多かったので、ドラゴンボールは、わたしにとっても親しみのある存在だった。
いまは毎晩、解説を受けながらドラゴンボールを楽しみ、わたしもすっかりハマっている。

ポケモンはアニメ派だったんだけど、同居人がゲームを愛しているので、サンムーン以降は一緒に新作をプレイしている。
アニメ派といえどポケモンはもともと好きだし、同じものを一緒に話せるのは楽しい。あとポケモンはかわいい。

いまではすっかり「わたしの好きなアーティスト」である、スガシカオのライブには、昨年一緒に来てくれた。
「おまえほどじゃないけど、俺もスガシカオ好きだよ」と言って、ちゃんと新譜の予習をしてくれた。


ねえ、そういうのってすてきじゃない?
彼氏だって、友達だって、
勧められたものを、「たのしい」と思えれば、世界を広げてゆければ
とってもすてきだと、わたしは思うよ。

だから、あの言葉は今思い出してもムカつくし、
できれば撤回して欲しい。
いや、あんな「おまえはどうせ」みたいな言い方を、しないで欲しかった。

何かを好きになるって、わたしはちょっと苦手だから。
「どうせわたし知らないし」から、少しずつ知っていく過程って楽しいけど
未知なものって、いつもちょっと怖いから。
いつも勇気を踏み出して、好きになる。
自分で何かを切り開くこともあれば、
「これすてきだよ」と、誰かに後押しをされながら。

そうやって、世界が広がっていくことを
わたしは今日も、美しいと信じている。


photo by amano yasuhiro


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