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小さくて近いところ

朝、もにゃもにゃとパソコンの前に座る。
出勤前に、書いて、弾いて、を終わらせたい。

別に、朝が得意というわけではなくて
夜が眠かっただけで
わたしはここに座っている。

ものを書く能力の半分くらいは、適切なBGMを選ぶ能力である。
というのを、わたしは何度も噛み締めている。

書きたいことがあるから書いている、ということは稀で
だいたいはどこかから、引っ張り出す。
ようやく書くことが決まっても、うまく集中できないことも多い。

没入の手助け、が音だと思っている。

今日は特に眠かったので、身体を起こすためにスガシカオを選ぶ。

寝ている家族を起こさないために、ヘッドフォンを……
するのも面倒な朝もある。

わたしはそおっと
ほんのわずかに、スピーカーのつまみをひねる。

聞き慣れたイントロと、聞き慣れた声が小さく聞こえてくる。

小さく聞こえてくる、というのは
なんだか、秘密を共有するような特別さがある。
ということに、どうしていままで気づかなかったんだろう。

だってあなたの声が
ずいぶん耳元で聞こえてくるような
そんな気がしてならない。

もう少し、あなたの声が聞きたい。
でも、ボリュームを上げない。

わたしは小さい音を捕まえるために
感覚の多くを
あなたの声へと傾けてゆく。

あなたのことを知りたい、と思ったら
分解して、
拡大して、
まじまじと見つめるように暮らしてきたけれど

少し離れて
ボリュームを下げて
見たり聞いたりするのも、いいかもしれない。

同じものでも
大きかったり小さかったりすると
違って見えるのに。
つい、大きいもののほうが便利だとか、よく見えるとか、おなかいっぱいになるとか、
お得な感じがして選んでしまうけれど。

たまには立ち止まるように、小さくしてみるよ。
少しだけ、距離を置いてみるよ。

大事だからって、抱き潰すことはないわけで
片手だけ繋いでいても愛していることはあるし。
これって、どちらの愛が大きいかとか、関係ないのに。

耳元のような、でも遠くのような
小さいあなたの声を聞きながら
今日は、そんなことを考えている。






※昨日聞いていたスガシカオが、そのままになっていたから

※ものを書く能力の半分くらいは、適切なBGMを選ぶ能力である。

※今日のスガシカオ





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