泥水号
最近、言葉の勉強をしている。
書き方とか、伝え方、選び方
わたしなりに、吸収しようと試みている。
2ヶ月間の休職中。
病による休職なので、休むのが仕事なのはわかっているのだけれど
だってもう、知っているから。
敷かれたレールなんか歩かない、と思っていたのに
わたしは、昨日までの自分が敷いたレールの上しか歩けない。
ということを。
*
2020年の4月から12月のあいだを、無職で過ごした。
緊急事態宣言の影響で職を失い、鬱々とした世界を横目に、部屋にこもっていた。
「仕事を失うような緊急時に、ふらふら出歩くのはよくない」と、思っていたし、たぶんそれで合っていた。
じゃあ代わりに家で何かしようかって、できなくて。
できない自分を責めることに疲れたので、毎日エッセイを書いてピアノを弾くことにした。
日に1時間か2時間、なんとかパソコンの前に座っていただけのわたし。
そのあとの未来を歩いている、2022年2月のわたし。
*
まさか、流行り病の後遺症にやられるとは思っていなかった。
という、人生は「予期せぬ方向」に転がることもある。
悪いことっていうのは、そうやって勝手にやってくることがある。たまにある。
怪我をしたり、恋人だったひとに捨てられたり。
いいことは、と言えば
たぶん、そうそう易くない。
思い返してみる人生のいいこと
たとえば、
憧れのライブハウススタッフになれたこと
都内のライブハウスに出演すること
キャラメル包装のCDを作ったこと
こうして「いいこと」と断言できるのが音楽活動の過程にしかない、ということへの驚きはさておきだけれど、
ひとつも「降ってきた」わけじゃない。
準備をしていた。
ここで働かせてください、と何度も言った(うざがられた)
オーディオリーフに音源を載せた(サウンドクラウドみたいな、そういうのが当時はやってた。渋谷のライブハウスから連絡がきた)
CDを、「作りたい」と言った。
わたしはレールを敷いたのだ。
望む方向へ走り出すように、脱輪覚悟で
*
いまのわたしがこのまま進んだら、予期できる範囲での大きな事故はなさそうだけど、おもしろくなさそうだなあ。と思った。
病が終わったあとの未来を、”もと通りの暮らし”を、あんまり望んでいなかった。
*
むかしより、脱輪するのが怖くなっていた。
思い描いた姿になれないことや、かけ離れてしまうことを恐れた。
臆病だったくせに、「どうなりたい」も「何を思い描いているか」にも、あんまり答えられなくなっていた。
ただ、ここではない場所を探し続けていた。
言葉を学んだら、いままでの自分の一部が死ぬような気がしていた。
なんとなく、良い子な文章を書いちゃうんじゃないかな、なんて思っていた。
わたしは、なんとまぬけなんだろう。
かんたんに死ぬなら殺してくれよ
*
わたしを乗せたトロッコは、少しだけ丈夫になったような気がする。
いまなら少しくらい叩かれたも大丈夫。
たぶん、自分の手で殴り返せる。
丈夫になったのは、トロッコじゃなくて、わたし自身かもしれない。
そしてそれは、進化ではなく、本来の姿への回帰かもしれない。わからない。
都合のいいことを、都合の良いタイミングで、調子よく吸収できるくらいは、適当なおとなになれたような気がいしている。
「一から百までぜんぶ」なんて思うから、死ぬと思ってたんだ。
そんな良い子じゃなかった。
長年泥水の中で暮らしていたのに、急に浄化されるわけもなかった。
信じられないくらい、泥は泥のままだった。
少しだけ、粘度が変わったところで、水にはなれなかった。
*
文章を学んだ結果が今日書いている文章なのか、と言われたらもちろんそうじゃない。
むしろ、学んだことはぜんぜん生かされてないかもしれない。
何もしないまま、
このままどうなっちゃうんだろうって
結局、昨日までの自分が敷いたレールを歩いているよりも
なんだかちょっと、良い気分だなあ。と、思ってる。
※今日のBGM
久しぶりにクラムボン聞いたら心地よかった。波みたいに
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