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泥水号

最近、言葉の勉強をしている。
書き方とか、伝え方、選び方
わたしなりに、吸収しようと試みている。

2ヶ月間の休職中。
病による休職なので、休むのが仕事なのはわかっているのだけれど
だってもう、知っているから。

敷かれたレールなんか歩かない、と思っていたのに
わたしは、昨日までの自分が敷いたレールの上しか歩けない。
ということを。

2020年の4月から12月のあいだを、無職で過ごした。
緊急事態宣言の影響で職を失い、鬱々とした世界を横目に、部屋にこもっていた。
「仕事を失うような緊急時に、ふらふら出歩くのはよくない」と、思っていたし、たぶんそれで合っていた。

じゃあ代わりに家で何かしようかって、できなくて。
できない自分を責めることに疲れたので、毎日エッセイを書いてピアノを弾くことにした。
日に1時間か2時間、なんとかパソコンの前に座っていただけのわたし。

そのあとの未来を歩いている、2022年2月のわたし。

まさか、流行り病の後遺症にやられるとは思っていなかった。
という、人生は「予期せぬ方向」に転がることもある。
悪いことっていうのは、そうやって勝手にやってくることがある。たまにある。
怪我をしたり、恋人だったひとに捨てられたり。

いいことは、と言えば
たぶん、そうそう易くない。

思い返してみる人生のいいこと
たとえば、
憧れのライブハウススタッフになれたこと
都内のライブハウスに出演すること
キャラメル包装のCDを作ったこと

こうして「いいこと」と断言できるのが音楽活動の過程にしかない、ということへの驚きはさておきだけれど、
ひとつも「降ってきた」わけじゃない。
準備をしていた。
ここで働かせてください、と何度も言った(うざがられた)
オーディオリーフに音源を載せた(サウンドクラウドみたいな、そういうのが当時はやってた。渋谷のライブハウスから連絡がきた)
CDを、「作りたい」と言った。

わたしはレールを敷いたのだ。
望む方向へ走り出すように、脱輪覚悟で

いまのわたしがこのまま進んだら、予期できる範囲での大きな事故はなさそうだけど、おもしろくなさそうだなあ。と思った。
病が終わったあとの未来を、”もと通りの暮らし”を、あんまり望んでいなかった。

むかしより、脱輪するのが怖くなっていた。
思い描いた姿になれないことや、かけ離れてしまうことを恐れた。
臆病だったくせに、「どうなりたい」も「何を思い描いているか」にも、あんまり答えられなくなっていた。
ただ、ここではない場所を探し続けていた。

言葉を学んだら、いままでの自分の一部が死ぬような気がしていた。
なんとなく、良い子な文章を書いちゃうんじゃないかな、なんて思っていた。
わたしは、なんとまぬけなんだろう。

かんたんに死ぬなら殺してくれよ

わたしを乗せたトロッコは、少しだけ丈夫になったような気がする。
いまなら少しくらい叩かれたも大丈夫。
たぶん、自分の手で殴り返せる。
丈夫になったのは、トロッコじゃなくて、わたし自身かもしれない。
そしてそれは、進化ではなく、本来の姿への回帰かもしれない。わからない。

都合のいいことを、都合の良いタイミングで、調子よく吸収できるくらいは、適当なおとなになれたような気がいしている。
「一から百までぜんぶ」なんて思うから、死ぬと思ってたんだ。
そんな良い子じゃなかった。
長年泥水の中で暮らしていたのに、急に浄化されるわけもなかった。
信じられないくらい、泥は泥のままだった。
少しだけ、粘度が変わったところで、水にはなれなかった。

文章を学んだ結果が今日書いている文章なのか、と言われたらもちろんそうじゃない。
むしろ、学んだことはぜんぜん生かされてないかもしれない。

何もしないまま、
このままどうなっちゃうんだろうって
結局、昨日までの自分が敷いたレールを歩いているよりも
なんだかちょっと、良い気分だなあ。と、思ってる。




※今日のBGM

久しぶりにクラムボン聞いたら心地よかった。波みたいに




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