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この街のマロンのこと

(あ、まただ…)

ぎゅっと大切そうに握られた白い袋。
最近、よく見かける。
それは、この街の象徴だった。

「良い天気ね!」と語らうひとも、よく見かけるようになった。
犬の散歩をしているひと。
この街で暮らすひとたち。

わたしは目を細める。
呪われたように引っ越しを続けた20代だったけれど、この街には長く暮らしている。
尋ねられれば道の説明もそれなりにできると思うけど、まだどこか「よそ者」の感覚が抜けない。
たぶんそれはどこにいても付きまとうもので、わたしの性根そのものだと思う。

だからこそ、愛している。
この街で暮らす人々を。
もしかしたら彼女たちもまた「よそ者」のひとりかもしれないけれど
やさしく雑多にただよう、この街の匂い。

そしてなぜだか急に、みなが握り締めている白い袋。
それは、パティスリー・マロンの袋だった。

マロンは、この街にほとんどひとつだけのケーキ屋さんだった。
他にもあるのかもしれないけれど、例えばマロンの前の道を説明するときにはみんなが「マロンの前の」みたいに言う。
駅から近いとか、立地がすごくいいとか、広い駐車場があるとか、そういうプラス要素みたいなのは一切ない。
隣は歯医者で、住宅街と呼べるか微妙な位置にポツンと立っている。

でも、クリスマスにもバレンタインにも、母の日にも父の日にも、そういう類のイベントのときには、マロンは大いに盛り上がる。
イベントがないときにも、お店の前の黒板には「誕生日おめでとう」の文字と「まあくん。ひろくん。あいちゃん」何人もの名前が連なっている。
そして、ケーキと焼き菓子で溢れた店内には、いつでもひとがたくさんいた。
マロンにわたしだけ。ということは、ほとんどなかったと思う。

わたしも、家族や友達の誕生日には、マロンでケーキを買う。
散歩をしたついでに、「マロンでお菓子でも買おうか」と言う。
「マロンのお菓子だね」とみんなにっこり笑う。

友達の家に行くときも
友達が家に来るときも
少しだけ特別なときにはいつも、マロンのお菓子だった。

ケーキ屋はべつに、なくても暮らせると思う。

なくても暮らせるお店はたくさんあるけれど
ケーキ屋と花屋は、その上位。のような気がしている。

それでも、街のケーキ屋と花屋を、わたしは愛している。
生活になくてもいいもので
あれば着実な彩りと与えてくれる存在を、大切に育てる街。

みんなが誰かのために、自分のために
マロンの袋を抱えて歩く午後を

わたしは今日も、愛している。






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