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そんな日もあるよね。

あらあら、またこんな時間になっちゃった。

わたしの日課、と呼んでいること。
エッセイ、ピアノの即興日記、stand.fmのおしゃべりは毎日やることで
その「毎日」の区切りを、「自分が朝起きてから眠るまで」としていた。

すごく眠たい日がある。
夜に日課をこなそう、と思っても、うまくできない。
わたしは、眠りたい。


毎日の発信を続けた結果、継続に必要なのは「時間・やる気・体力」の3つだと気づいた。
わたしの場合、発信する内容を考えることは「やる気」に含まれる。やる気さえあれば、内容は必ずあとからついてくる。
そして継続した結果、「所要時間」を削ることにも成功した。
苦しい日は定期的に訪れるけど、始めたばかりの頃の「え、今日もやるのか。まじか…むりだ…」みたいな絶望感もなくなってきた。

それでも時折、必要な3つのバランスを崩す。
どうしても、うまくいかない。
体力がやる気を、やる気が体力をカバーできずに、所要時間の1時間すら捻出できなくなる。

そういう日はとにかく眠る。
そうして迎えた朝に、パソコンと向かい合う。


まあ、そういう日もあるか。と思う。
もはや「やっちまった」という感覚すら希薄で、わたしはいま、「まあいっか」と思っている。


stand.fmのおしゃべりでも、実際によく言っている気がする。
「今日は短くなっちゃったけど」
「今日はすごい噛んじゃったけど…」
「今日はだらだら長く話しすぎちゃったけど」
そう言ったあと、わたしは最後に「そんな日もあるよね、まあいっか」とほがらかに笑う。

毎日を生きることって、そういうことなんだと思う。
そんな日もある。
まあ、いっか。


行動を起こすとき、人は「理想の値」を無意識に設定している。
食器を洗うときは「シンクにあるもの全部」と思っているし、
掃除をするときは「まずはコロコロでゴミを取ったあとに、乾いたクイックルワイパーを使ったあと、ウェットタイプで床を拭く」とわたしは決めている。
設定した目標は、当然達成すべきだと信じているし、達成できなかったときは少し落ち込んだりする。

でも、まあいいのよ。
たまには、完璧じゃなくて。
何かが足りなくたって。
他人はきっと、少しだけでも食器を洗ったり掃除をしたあなたを褒めるでしょうから、
「足りない」と責めることも
「頑張った」と許すことも
自分自身の手で、コントロールしたっていい。


まあ、いっか。
わたしは最近、こんなふうに思う。
少し足りないことがあっても、自分の理想に近付こうと、少しでも行動しているならば。
笑って許して、また次に頑張ろう、というわたしが生きながらえれば、それで。
それで、充分な気がしている。


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