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君に伝えたい百の言葉

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あなたに伝えたい言葉が残っている。見失っても、百個積んだ先に何かがあるかもしれない。光を追う者のエッセイ集
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#毎日note

書きたくない。を、飲み込んで

書きたくない と、思う夜がある。 * 「そろそろ書こうかな」が、「書かなきゃ」に変化することもある。 「書かなきゃ」が「書けない」に変化することもある。 ふわふわと、吐き出されたばかりの煙草の煙みたいに、わたしの気持ちは漂っている。 細くなって更に舞い上がったり、次の煙と混ざり合ったり、消えてしまったりする。 移ろう、それを”感情”と呼ぶ。 「書きたくない」は、感情ではない。 それは、”意思”だ。 強さがある。 もう動きたくない、と強く思っている。 「書かなきゃ」

それでも、原初の炎は燃えている

今年も、こんなお知らせが届く季節になりました。 note、2021年の記録。 書いた本数、スキされた数、全体ビュー、増えたフォロワー それから、よく読まれた記事…など。 今年1年を振り返ることのできる内容になっています。 Twitterでも、noteで知り合った方々の「2021年の記録」が出ていて、まじまじと見ちゃう。 そして、比べてしまうわたしがいる。 * わたしより、「書いた記事の数」が多いひとは、まだ見ていない。 つぶやきを中心にnoteを使っている人や、今

あなたが教えてくれた、わたしのこと。

わたしはいったい、どこへ向かっているんだろう。 わたしはずっと、考えている。 ひとつ、たどり着いた答えは「目的地がない」ということだった。 そりゃあ、どこへ向かっているかわからないよね、と思う。 わたしの掲げた目標は「じたばたすること」や、「とりあえずやってみること」だった。 それを、毎日繰り返してゆく。 ときどき嬉しいことがあって、深く息をできる。 意味があったんだ、と安堵する。 意味を求めた旅ではなかったのに。すごくうれしい。 目的地のないわたしは、いつも何かが足り

奇跡の種をまく

ほんとうにね、最近の出来事だったんです。 すてきな記事に出会えて嬉しかった! というお話を、stand.fmで配信させていただきました。 出会えたのはこの記事! 呼吸を蝕むようなどろっとした血液が、やさしくさらりと鼓動するように 何よりも効く薬みたいに、いまのわたしには必要な記事でした。 この記事読ませていただいてから、本当に調子が良い! 毎日記事を書くことを、ときどき褒めてもらえたりする。 それがすごく嬉しい。いつもすごく嬉しい。 でもそれ以上に、「毎日書くことに意

魔法が消えた日

「今日はもう書けない」と思う夜は、突然訪れる。 心身のバランスを崩している日、というときもある。 そのときは「書くことがない」というよりも、「書く体力がない」場合が多くて、それでも心が「書きたい」とか「書かなきゃ」に向かっているから、苦しいけれど頑張り続けてきた。 「なぜ今日?」という日に、不慮の落とし穴にハマったみたいに、ダメになることもある。 元気なのに。 今日は当社比で早起きをして、日中に家事をすませて 元気よくダイナマイト(SMAP。子供のときによく聞いた)を流

空っぽの引き出し

書けないなあ…… そう思って、わたしは10分と少し、パソコンの前に座っている。 準備は万端だった。 朝のうちに、簡単な家事を終え、冷蔵庫のコーヒーをあたためた。 煙草を吸っているあいだに、コーヒーのあとに飲む用のハーブティーも淹れた。 背筋を伸ばしてくれる北海道産のアロマ(北海道の友達が贈ってくれた、いま一番のお気に入り)を炊いた。 家を出る前に、記事を書かなきゃ、という日がある。 人と会う約束があって、帰宅が遅くなる、または帰宅時にバテていることが想定されている日。 そ

【stand.fm】おしゃべりはじめました

数日前から、stand.fmというアプリでおしゃべりをはじめました! おしゃべり、には興味があったんだけど なかなか踏み切れなくて。 なんとなーく、音楽を長く続けてきている身なので、妙なこだわりみたいなものを持ってしまっていて なんか音質よくしたいな、とか、BGM自分で作りたいな、とか。 そしたら全部、後回しになっちゃって。 結局、手持ちのマイクも使わず、BGMもアプリに入っているものを使って、 それで、しゃべってみることにしました。 * noteの連続更新をはじめ

ぴゃーっと書けたら、

noteの連続更新が180日を越えた。 今までは、更新ボタンを押すとぴょこんと現れるこの通知の、数字が増えているのをぼんやりと見ているだけだった。 180日が、約半年になることを知って、「なんだかすごいなあ」と やっぱり、ぼんやりと思っていた。 無職になる直前から始めた、noteの毎日更新。 もうすぐ無職になって半年なのか、とか、もう半年か、とか、そういう焦りもあんまりなかった。 でも、半年ってすごいなあ。 わたしはやっぱり、ぼんやりしている。 ぼんやりしながら、漂うよ

空から降ってくることに期待しない

「なんかおもしろいこと、あった?」 昔は、口癖のように言っていた。 「なんかおもしろいことないかな〜」とも言っていたような気がする。 * マンネリ化、というような日々というか、気持ちは 時折、降りてくる。 「久し振り」というようにやってくる、感情のひとつかもしれない。 突っ走っているときは、「マンネリくん」のことは忘れている。 次のライブがあるだとか、それに向けて絶対に新曲を書きたいとか 「目標」に向かって「努力」をしているときは、苦しいけどやっぱり幸福なんだと思う。

あなたと、たったひとりの旅人

煙草を吸う。 家にいるときは、本数が増える。 一段落したときに、煙草に火をつける。 洗い物をしたあと、洗濯物をしたあと、記事を書いたあと、 それから、寝起きも。 記事を書く前にも、煙草を吸う。 今日は何を書こうかなあ、と考える。 書くことが決まっているときもあれば、メモを見てネタを拾いに行くこともある。 今日に関して言えば、「そういえば最近のメモは全部使っちゃったところだ」と、途方にくれていた。 途方に暮れながら、煙草を吸う。 隣で、同居人も煙草を吸っている。 一緒にや

魔法のアロマ(note連続更新130日に連ねて)

今日はもうダメかもしれない と、思う。 よく、思う。 今日もnote書くのかあ、と思う。 noteの連続更新は、130日を越えた。 “毎日書く”という苦しさは、少しずつやわらいできている、と思う。 おやつを食べるように、お茶を飲むように noteと、書くことに向き合えるようになってきた、とも思う。 でも、”始める前の怠惰な気持ち”は、完全に消え去らない。 消え去って欲しい、とも思っていない。 少し、安心もしている。 わたしの怠惰さに、変わらなさに、 それでも突き進

noteの世界は、20年前のインターネットのやさしさに似ている

120日書いたら、もうやめようかな。 もう、やめてもいいかな。 noteの連続更新が、100日を越えて、110日を越えて なんだか、ずっしりと重たくのしかかってくるような感覚があった。 不思議だよね。 数字自体は、少し軽くなっていくような気もするのに。 90日から10日を目指す10日と、 110日から120日を目指す10日は、 わたしにとって、ぜんぜん違うものだった。 そんな風に言葉にしてみると、 わたしは毎日、進化とか退化であっても、「変化」してゆくのだから 当然と

ゲームにキレたって、いいじゃない

「ぐわあああああああ!!!!!」 同居人が叫んでいるとき、わたしは煙草を吸っていた。 どうやら、ゲームで先に進めないらしい。 「休憩!」と言って立ち上がり、トイレに行く後ろ姿に 「ゲームでキレるなよ〜〜〜」と笑いながら声をかけた。 言った直後に、「ちがう、まちがえた」と思った。 ゲームでキレたっていいじゃないか。 キレる、という言葉に、あまり良い印象がないので、ちょっと言葉を変えてみる。 「一生懸命頑張っていることが、うまくいかないときは、悔しがったっていいじゃないか

この世界は、やさしい輪の中にある

ねえねえ、聞いてよ。 わたしは、同居人に声をかけた。 この記事の内容を、話したかった。 この日わたしは、”開けなきゃいけないけど、すごく嫌だった”、年金と住民税の納付書を開けた。 嫌だったと言っても、支払う義務や必要があることはわかっている。 同居人の言葉を借りれば、「高い金払えって言ってくるんだろ…」ていうやつ。 税金についての知識がなく、会社の庇護もないわたしたちの感覚は、恥ずかしながらこの程度である。 なんとか封筒を開けて、 混乱を落ち着かせるために、読んでまとめ