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奇跡の種をまく

ほんとうにね、最近の出来事だったんです。

すてきな記事に出会えて嬉しかった!
というお話を、stand.fmで配信させていただきました。

出会えたのはこの記事!
呼吸を蝕むようなどろっとした血液が、やさしくさらりと鼓動するように
何よりも効く薬みたいに、いまのわたしには必要な記事でした。
この記事読ませていただいてから、本当に調子が良い!



毎日記事を書くことを、ときどき褒めてもらえたりする。
それがすごく嬉しい。いつもすごく嬉しい。

でもそれ以上に、「毎日書くことに意味はあるのだろうか?」と問い続けてきた。
「意味はないかもしれないけど、始めてみよう」と思ったわたしから、なにも成長できていなかった。


otaさんの記事に出会ったとき、世界は彩度を増すように明るくなった。
求めていたのはこれだ!と思った。
いろんな作品に触れていると、ときどきこんな奇跡が起こる。
言葉を残していただいたことで、生まれた奇跡。

そしてその言葉が、2019年のものだと気づいて、びっくりした。

時を越えて会えたんだ、とばかみたいに思った。
自分が埋めたわけじゃないのに、タイムカプセルみたいな感動だった。

書き続けることの意味も、教えてもらった気がした。
発信すること、残すこと。
それが、誰かに繋がるということ



繋がらなければ意味がないじゃないか、という話ではない。
こういう「誰かから与えてもらうもの」を成果にしてしまうと、首が締まるような気がしてしまう。

わたしにとって大切なのは「こんな奇跡が起こるかもしれない」という種を、毎日まき続けているということ。
奇跡を起こせるかわからないけど、可能性があるという事実ひとつが、わたしを勇ましくさせた。


「記事、読みました」と連絡をもらったのは、その数日後の出来事だった。
眩しい作品を作る友達が、「すてきでした。刺激になりました!」と伝えてくれたのは、わたしが半年前に書いた記事でした。

はじめてnote公式にピックアップしてもらった、思い出深い記事でもあります。
(この友達に、まだ文句は言えない日々が続いていることだけが残念です)

びっくりしちゃった。
読んでもらったことにも、褒めてもらったことにも、驚いたけれど
わたしも、otaさんが起こしてくれたみたいな、奇跡を起こせたんだ。
時を越えて、必要な誰かに出会うことが、できたんだ。


こんなに毎日言葉を紡いでいるのに、「泣いちゃう」以外の感想がなくて、もう全然ダメ。
でもほんとうに、泣いちゃう。

この奇跡の感動も、少しずつ薄れるでしょう。
それも、わかっています。
またわたしは「なぜ毎日書いているんだろう」と悩むでしょう。

それでも

ひとついただいた希望は、消えない。
わたしはまだ、奇跡の種をまき、希望を紡ぎたい。
わたしは、この輪の中で生き続けたい。
いまはそう、確信している。





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(関連note)

褒めてあげようかな?と思ったやさしいあなたは、noteのコメントかマシュマロをご利用ください。

(あと、この記事も褒めてもらって嬉しかったです。ずっと大事なはなし)




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