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「おもしろそうだから、やってみようよ」と、君は笑った。 それは確かにおもしろそうだけれど わたしはそれに見合う”何か”……実力だとか経験だとかを、持ち合わせているだろうか。というのは、いつも不安になる。わたしでいいのかな。 不安な心を、コトリと転がして、それでもまだ不安で、自信なんてどこにもなくて。 それでも、君が笑うから。 君が、信じてくれるならば。 そのままぶつかって、そのあとに考えてみればいいや。 何もしないわたしよりも できないと嘆くわたしより
ポストに、手紙が落ちていた。 ひっくり返してみると、いつもの筆跡だった。 わたしが彼女に手紙を書いたのは12日で、13日に投函している。 返事にしては早すぎる。 最近は、そんなことが続いていた。 「この手紙を書いていたら、あなたからの手紙が届いた」と走り書きされていたこともあった。 わたしたちは近年、手紙の返事を書くのをやめた。 たぶん、先にやめたのはわたしだと思う。 なぜだか、やり取りしている手紙は”返事”でなければならない、と思っていたことを、覚えている。 相手の
あなたに手紙を書いたのは、 あなたを思い出したからです。 ひとりで部屋にいても、歩いていても あなたの気配は、ふいに訪れて おかげでわたしは、希望の淵を歩けているのだ、と思います。 ときには落下して、もう終わりだ、と思うようなこともありますが 落ちた先の、か細すぎる平均台のような足場でも、どこか懐かしい風が吹いている。 ということに、最後には気づいてしまうのです。 絶望しきれないのは、あなたと越えた夜が、いまでもわたしを後押ししてくれているからでしょう。 あのときも、なん
メールが届いて、驚いた。 それから深く、頷いた。 AmazonPayの支払いで、利用先はクリックポストだった。 そうだ、友達へ荷物を送ったんだった。 郵便、を愛しているのかもしれない。 むかしからそうだった、と思う。 切手が好きだし、むかしはヤマトのメール便をよく使った。(メール便専用の黄色い定規みたいなのも持っていた。安くて便利だった) いまでもたくさんのサイズの封筒を常備しているし、レターパックのストックも欠かさない。 ここ数年の発見は「クリックポスト」で、 ラベル
その手紙の存在に気がついたのは、つい最近の出来事だった。 結婚式で受け取ったであろう、小さなメモ。 わたし宛てじゃない。 それは、同居人に宛てられたもので、いつからかそこに貼られていた。 キッチンの、下の方。 差出人の名前は聞いたことがあって、そのひとの結婚式は、ずいぶんと前の出来事だった気がする。 視界に文字が入ったので、ついつい読んでしまった。 几帳面な字で、語りかけるような言葉たち。 ああいう小さな紙に手紙を書くと、ずいぶん文字を詰めてしまったり、後半はぐだぐだに
思い返せば、最初から”手紙”が好きな子供だった。 きっかけを思い出せないから、「最初から」なんだと思う。 小学生の頃は、毎日会っている友達に年賀状を書くことに浮かれていた。 初めて文通をしたのは、中学生のころだったと思う。 母が買っていた「月刊ピアノ」という雑誌の文通コーナーを見ては、手紙を送っていた。 あの頃は、名前と住所が雑誌にそのまま掲載されていて、何度か手紙を送った気がする。 同じ時期には、ポストペットのモモとか、コモモにメールを運ばせていたし、 高校生になってイン
久し振りに、手紙を書いた。 手紙を書くのは好きなくせに、どうも後回しになってしまう。というときがある。 日課ほど頻繁に取り組んでいるものじゃないし、手紙を書くためにはデスクを片付けなきゃいけない。あの子に書くならついでにあのひとにも、とか、いろいろ考えちゃう。 でも、わたしは手紙を書く。 どれだけ時間が経ってしまっても、どこかのタイミングで必ず思い立つ。 手紙が、わたしを救ってくれる、ということを、わたしの本能が知っている。 親愛なるあなたへ、と名前を書く。 手紙だけで
「うぎゃっ」 わたしは小さく、確かな悲鳴を上げた。 膝の裏の、太ももの境目あたりに、ほんのわずかな違和感を感じていた。 数日経ってもおさまらなかったので、覗き込んで確認してみた。 そして、悲鳴。 アザだった。 お世辞にも「小さな」と言えないくらい、立派なアザだった。 親指くらいだと思う。 指の先っぽじゃなくて、親指1本分。 ぜんぜん気づかなかった。 いままで、「親指の先くらい」の小さなアザは、いくつも作ってきた。 そんなことは、たくさんあった。 でもこれは、タダゴトでは
本を読んでいたら、疲れちゃった。 本を読むのは好き、なはずなんだけど 最近読んでいなかったから、1時間も集中すれば疲れちゃう。 わたしは、ベッドからのそりと起き上がる。 トイレにでも行こう、と思ったけど その前に、ポストを覗くことにした。 何かを待っているわけじゃないけど、気分転換も兼ねて、一度玄関を開けてみた。 やっぱりポストには、何も入っていない。 同居人が玄関に近くにいたので、「なにもなかったよ」と告げた。 「なんで見に行ったんだよ」と、彼は笑って言った。 わ
ときどき、会えなくなってしまった友達のことを、思い出す。 LINEを聞き損ねてしまって、そのままになっている。 共通の知人をたどれば、きっとたどり着けるのだと思うけど、 ときどき、「会いたいなあ」なんて思うけど、なんとなくそのままになっている。 日常的に連絡する友達の数なんて、ほんとうにごくわずかだ。 わたしは圧倒的に「思い出したときに、連絡を”もらう”側」になってしまっている。 過去のあなたが引っ付いていて、なんとなく、いまのあなたの暮らしに割り込んでゆけない。 連絡を
「最近、たまにnote見てるよ」と言われて、びっくりした。 定期的に会う友人で、わたしたちはいま、向かい合ってケーキを食べている。 「なんだか変わっていなくて、安心した」と言われて、またびっくりした。 * 昔のまま、 昔の、わたしの文章… 「あなたに書いていた手紙から、変わっていないかもしれない」 わたしたちは10代の頃、手紙のやり取りをしていた。 友達は、几帳面そうな、線の細くて、きれいな字を書く人だった。 いつも、きれいでおしゃれな便箋だった。 (わたしは、400
友達から、手紙が届いた。 彼女から手紙をもらうのは、初めてだった。 Twitterで「手紙を書きたい」と言っていたので、LINEで住所を送りつけてみたら、本当に届いた。 彼女からの手紙は初めてだったのに、 その筆跡を、なぜか懐かしいと思った。 なぜだろう 同じ会社の、他部署で働いていた人だ。 一緒にお茶をしたり、仲は良かったけれど、メモのやり取りはしたことがなかったような気がする。 それでもなぜか、懐かしいと思った。 きれいで、だけどちょっと幼さが残るよう見えたのは