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クッキーはいかが?

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1200文字以下のエッセイ集。クッキーをつまむような気軽さで、かじっているうちに終わってしまう、短めの物語たち
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#手紙

未来のわたしへ

「おもしろそうだから、やってみようよ」と、君は笑った。  それは確かにおもしろそうだけれど  わたしはそれに見合う”何か”……実力だとか経験だとかを、持ち合わせているだろうか。というのは、いつも不安になる。わたしでいいのかな。  不安な心を、コトリと転がして、それでもまだ不安で、自信なんてどこにもなくて。  それでも、君が笑うから。  君が、信じてくれるならば。  そのままぶつかって、そのあとに考えてみればいいや。  何もしないわたしよりも  できないと嘆くわたしより

ライラックの横顔

ポストに、手紙が落ちていた。 ひっくり返してみると、いつもの筆跡だった。 わたしが彼女に手紙を書いたのは12日で、13日に投函している。 返事にしては早すぎる。 最近は、そんなことが続いていた。 「この手紙を書いていたら、あなたからの手紙が届いた」と走り書きされていたこともあった。 わたしたちは近年、手紙の返事を書くのをやめた。 たぶん、先にやめたのはわたしだと思う。 なぜだか、やり取りしている手紙は”返事”でなければならない、と思っていたことを、覚えている。 相手の

あなたに手紙を書いたのは

あなたに手紙を書いたのは、 あなたを思い出したからです。 ひとりで部屋にいても、歩いていても あなたの気配は、ふいに訪れて おかげでわたしは、希望の淵を歩けているのだ、と思います。 ときには落下して、もう終わりだ、と思うようなこともありますが 落ちた先の、か細すぎる平均台のような足場でも、どこか懐かしい風が吹いている。 ということに、最後には気づいてしまうのです。 絶望しきれないのは、あなたと越えた夜が、いまでもわたしを後押ししてくれているからでしょう。 あのときも、なん

きっと、海を越えて

メールが届いて、驚いた。 それから深く、頷いた。 AmazonPayの支払いで、利用先はクリックポストだった。 そうだ、友達へ荷物を送ったんだった。 郵便、を愛しているのかもしれない。 むかしからそうだった、と思う。 切手が好きだし、むかしはヤマトのメール便をよく使った。(メール便専用の黄色い定規みたいなのも持っていた。安くて便利だった) いまでもたくさんのサイズの封筒を常備しているし、レターパックのストックも欠かさない。 ここ数年の発見は「クリックポスト」で、 ラベル

ナイーブな人たちが、世界を美しくする

その手紙の存在に気がついたのは、つい最近の出来事だった。 結婚式で受け取ったであろう、小さなメモ。 わたし宛てじゃない。 それは、同居人に宛てられたもので、いつからかそこに貼られていた。 キッチンの、下の方。 差出人の名前は聞いたことがあって、そのひとの結婚式は、ずいぶんと前の出来事だった気がする。 視界に文字が入ったので、ついつい読んでしまった。 几帳面な字で、語りかけるような言葉たち。 ああいう小さな紙に手紙を書くと、ずいぶん文字を詰めてしまったり、後半はぐだぐだに

ポストの中身

思い返せば、最初から”手紙”が好きな子供だった。 きっかけを思い出せないから、「最初から」なんだと思う。 小学生の頃は、毎日会っている友達に年賀状を書くことに浮かれていた。 初めて文通をしたのは、中学生のころだったと思う。 母が買っていた「月刊ピアノ」という雑誌の文通コーナーを見ては、手紙を送っていた。 あの頃は、名前と住所が雑誌にそのまま掲載されていて、何度か手紙を送った気がする。 同じ時期には、ポストペットのモモとか、コモモにメールを運ばせていたし、 高校生になってイン

あなたの、名前を書くだけで

久し振りに、手紙を書いた。 手紙を書くのは好きなくせに、どうも後回しになってしまう。というときがある。 日課ほど頻繁に取り組んでいるものじゃないし、手紙を書くためにはデスクを片付けなきゃいけない。あの子に書くならついでにあのひとにも、とか、いろいろ考えちゃう。 でも、わたしは手紙を書く。 どれだけ時間が経ってしまっても、どこかのタイミングで必ず思い立つ。 手紙が、わたしを救ってくれる、ということを、わたしの本能が知っている。 親愛なるあなたへ、と名前を書く。 手紙だけで

ご自愛ください。

「うぎゃっ」 わたしは小さく、確かな悲鳴を上げた。 膝の裏の、太ももの境目あたりに、ほんのわずかな違和感を感じていた。 数日経ってもおさまらなかったので、覗き込んで確認してみた。 そして、悲鳴。 アザだった。 お世辞にも「小さな」と言えないくらい、立派なアザだった。 親指くらいだと思う。 指の先っぽじゃなくて、親指1本分。 ぜんぜん気づかなかった。 いままで、「親指の先くらい」の小さなアザは、いくつも作ってきた。 そんなことは、たくさんあった。 でもこれは、タダゴトでは

うちのポスト

本を読んでいたら、疲れちゃった。 本を読むのは好き、なはずなんだけど 最近読んでいなかったから、1時間も集中すれば疲れちゃう。 わたしは、ベッドからのそりと起き上がる。 トイレにでも行こう、と思ったけど その前に、ポストを覗くことにした。 何かを待っているわけじゃないけど、気分転換も兼ねて、一度玄関を開けてみた。 やっぱりポストには、何も入っていない。 同居人が玄関に近くにいたので、「なにもなかったよ」と告げた。 「なんで見に行ったんだよ」と、彼は笑って言った。 わ

会えなくなってしまった、友達のこと

ときどき、会えなくなってしまった友達のことを、思い出す。 LINEを聞き損ねてしまって、そのままになっている。 共通の知人をたどれば、きっとたどり着けるのだと思うけど、 ときどき、「会いたいなあ」なんて思うけど、なんとなくそのままになっている。 日常的に連絡する友達の数なんて、ほんとうにごくわずかだ。 わたしは圧倒的に「思い出したときに、連絡を”もらう”側」になってしまっている。 過去のあなたが引っ付いていて、なんとなく、いまのあなたの暮らしに割り込んでゆけない。 連絡を

いまも、手紙みたいに

「最近、たまにnote見てるよ」と言われて、びっくりした。 定期的に会う友人で、わたしたちはいま、向かい合ってケーキを食べている。 「なんだか変わっていなくて、安心した」と言われて、またびっくりした。 * 昔のまま、 昔の、わたしの文章… 「あなたに書いていた手紙から、変わっていないかもしれない」 わたしたちは10代の頃、手紙のやり取りをしていた。 友達は、几帳面そうな、線の細くて、きれいな字を書く人だった。 いつも、きれいでおしゃれな便箋だった。 (わたしは、400

筆跡

友達から、手紙が届いた。 彼女から手紙をもらうのは、初めてだった。 Twitterで「手紙を書きたい」と言っていたので、LINEで住所を送りつけてみたら、本当に届いた。 彼女からの手紙は初めてだったのに、 その筆跡を、なぜか懐かしいと思った。 なぜだろう 同じ会社の、他部署で働いていた人だ。 一緒にお茶をしたり、仲は良かったけれど、メモのやり取りはしたことがなかったような気がする。 それでもなぜか、懐かしいと思った。 きれいで、だけどちょっと幼さが残るよう見えたのは