登校再開を見据えて考えたいこと。~これからの「学校」の価値とは~

時が経つのはあっという間で、もうそこまで6月が迫ってきています。思い起こせば、「今年度こそ勝負をかけよう!」と意気込んでいた4月。実践したいことをたくさん抱え、着々と準備を整えていましたが、その実践報告をnoteに書ける日は、もう少し時間がかかりそうです。

しかし、そんな生産性の低いことを言っていても時間の無駄。大切なのは、「今」をどう発展させていくかです! 結果論ですが、休校措置が取られた結果、「学校」ができることへの可能性は、大きく広がったと僕は捉えています。だからこそ、この変化を+と捉えると共に、「公立小学校のこれからを考えてみたい!」と思って書きます。しばし、お付き合いください。

▶学習環境の多様化。

先日の出勤日、各家庭に電話連絡をしたのですが、そこで感じたのは、

「どの塾もオンライン授業サービスを実施している。」

という事実です。さすがに、公立小学校が配信している位ですからね。各学習塾も質の高い授業動画やオンライン授業を提供しています。

ということはですよ、この休校期間中に、

「学習ができる環境は、ある程度確保された。」

ということが言えると思います。極端に言えば、

「小学校へ来なくても、家から出なくても、学習ができる。」

状況が整ったということですよね。これは、「子どもたちが、自分のスタイルに合わせて学習方法を選べる」という観点からすれば、素晴らしい環境になったということです! では、小学校として考えなければならないのは、このような環境が整った社会において、「小学校に通う価値」をどのように捉え、提供していくのかということだと思います。

▶小学校と塾、提供できることの差別化。

僕は、断然小学校の肩をもちます。もう相当ひどい位に小学校派に肩入れしながら判断し、小学校と塾で提供できる「学習面」について差異がないと、しましょう。としたらですよ、塾ではなく小学校に提供できることは何でしょう。僕は、次の3つを考えました。

①体験の提供
②協働的な学びの提供
③圧倒的な「個性的」教師の提供

この3つです! それぞれについて解説します。

①体験の提供

いつかしらの記事で、「知識を獲得するには、体験が一番だ!」なんて書きましたが、小学校教育では、「体験」を提供できます。イメージとしては、

「説明すれば、1分くらいで伝わることを、敢えて体験させて子どもたちから説明してもらう。」

と、言ったところでしょうか。小学校の授業にも1時間ごとの「ねらい」があり、教師は、その「ねらい」が達成できるよう意識して授業を構想し、実践しています。

ここが教師の面白いところなんですよね! 目標へ向かって一直線に進むというよりは、どちらかというと遠回りをして、いろんなことを「見て」「触れ」「聴いて」、ゴールに辿り着くよう手立てを打つことがたまりません!ぜひ、一度経験してみてください! 話題がそれがちですが、この学び方こそ、小学校で提供できる価値なのです。

②協働的な学びの提供

これは、ちょっと古い考えですかね。塾と言えば、黙々と学習に打ち込んでいるイメージがあって。関係者の皆さんすみません。子どもたちに聴くと、塾でもグループでの話合い、教え合いも実践されているようで、「それをやられたらこっちとしても、ねぇ。」と言いたくなってしまいますが、小学校では、個人追究だけでなく、ペア、グループ、学級全体、学年といったように様々な形態を提供することができます。もちろん、成果物を交流して互いに刺激し合いつつ、さらなる高みを目指すような学習の工夫も取り入れています。これは、昔ながらですが、格好良い言葉で言うと、小学校で提供できる「普遍的な価値」なのです。

③圧倒的な「個性的」教師の提供

ちょっとここから、雲行きが怪しくなりますので、ご承知ください。僕もこの休校期間中、様々な方の意見を聞きつつ、考えたのです。

「確かに授業のオンライン化が進めば、授業がうまい教師だけが生き残り、教員数を削減するという案も現実離れしていない。しかし、教育は、オンライン上だけでできるわけがない。とすれば、やはり現場の教員は必要だ。しかし、オンライン+現場教師が手を組めば、現在の人数以上の教師は、いらない。そう考えると、どのような教師が残っていくのか。」

このようにだらだらと考えた結果。

「この先生に教えてもらいたい!」

と言ってもらえる教師しか生き残れないのではないか! という結論に至りました。どうですかね? ちょっと現実離れしていますか? いや十分あり得ると思うんですよね。子どもが教師を指名して教えを請うような時代が。だって、「子どもに力をつけること。」が教育の目的だとしたら、「自分に力をつけてくれる教師を選べない。」ということ自体がおかしいのかなとも思えてきます。そんな「天の神様の言う通り」のような教育で許されるのか。どんどん自分へのハードルを上げる結果になっているので、ここら辺にして自己研磨に励もうと思います。

▶小学校のブランド化

最後に、これは本当に余談の中の余談。トップオブ余談ですが、

「小学校自体が、もっと個性を打ち出す。」

というのも必要なのではないかと思うのです。

いや、分かります。分かりますよ。公立ですからね、近隣校との足並みを揃えたいという従来の安定思考。ある意味そのような協力体制が、波風を立てない結果を続けてきたとも言えるので。

しかし、校内でもっと変革をしても良いと思うのです。変革というか。

「我が校は、〇〇のような子どもを育てる!!」

のように、バシッ!と方針を打ち出して、

「教員が一つの目標に向かい、圧倒的個性的な教師が、実践を積み重ねる。」

みたいな。

「うちの学校のうりは、〇〇です!!」

みたいな。ブランド化というんですかね。教員が集まる研修会で、

「うちの学校は、こういう子どもの成長を目指しているんで、よろしく!」

みたいね会話が繰り広げられる。

面白いと思うのですが。あまり現場の肌間隔からしてみたら現実味はないので、こっそり胸の中に秘めておきたいと思います。でも、いつか・・・。虎視眈々。頑張ろう!

▶まとめ。

本記事では、このような世の中の情勢を受け、「学校教育が良い方向へ変革されている。」という内容にしたつもりです。僕は、そう思っています。しかし、安心してばかりいられません。僕たち教師は、様々な教育機関とは違った、「小学校だからこそできる学びの価値」を子どもたちに提供することがより求められているのです。自分の足場をしっかりと固め、そこから大きく成長できるよう、教師として学び続けていく必要があるのです!


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