見出し画像

【失敗解決②】「反対意見」が出せるように設定しておく

先日、運動会の種目決めが行われました。

どのような種目が行われるかは、学校によって様々だと思います。

ぼくの学校では、体育関係全般を仕切っている先生たちが事前に話し合い、そこで決まったことを全体に提案するという方式。

その全体提案で待った!が出たのです。

もちろん、待った!が出ることは悪いことではありません。

ただ、その提案内容に失敗の”あるある”が潜んでいましたので、その解決策を本記事の内容とします。

より精度の高い決定事項を導くために使える方法です。

ぜひとも、読んでみてくださいね。

▼「自分とみんなが同じ意見」という大きな勘違い

「自己チュー」なんて言葉があるくらい、自分勝手なキャラクターはよく思われません。

ただ、分かりやすい自己チューはまだよし。

質が悪いのは、「知らず知らずのうちに自己チューになっている」という場合。

そして、そんな過ちをぼくたちは誰しもがやってしまうのです。

「自己中心性バイアス」という言葉があるくらい、ぼくたち人間は、「きっとみんなも同じ考えだよね。」と思ってしまいがち。

さらに質の悪いことに、立場とか権力とかが増すことによって、「自分の意見にみんなが賛同してくれている」なんて思ってしまう。

本当は、「反対意見がいいにくい。」とか「批判したら怒られるかも。」といった忖度が働いている可能性もあるのです。

言うまでもなく、そんな組織、グループでは、よりよい意見なんてのは生まれてこないでしょう。

という前提で、個人的な学校の話に戻ります。

全体に提案された内容は、本校の運動会ではしばらく行われなかった「リレーを復活させましょう」というものでした。

しかし、「リレーといっても勝敗をつけるようなものではなく、楽しく体を動かせるもの。そして、体育の授業での延長線上にあるという位置づけでお願いします。」という提案だったのです。

その提案を受け、賛否が真っ二つに分かれました。

意見の内容については深掘りしませんが、ここで大切なのは、「事前の話し合いでは、リレーがすんなり受け入れられると思っていた」という事実。

話し合いが紛糾した後に、担当者と個人的に話し合ったのですが、「体育担当者間での話し合いでは、『できるでしょ!』で通ったんだけど…」という感じでした。

そして、ここに「自己中心性バイアス」が働いている可能性があるのです。

▼「批判」の大切さ

本校を揺るがせた「リレー復活問題」ですが、事前の話し合いでは想定していなかった数の問題点が指摘され、結果的に再提案になりました。

しかし、その問題点は突拍子もない視点でもなく、ちょっと考えれば出てくるようなありふれた問題点でした。

ここで疑問となるのは、「体育のスペシャリストたちが、なぜ、ありふれた問題点に気づけなかったのか?」ということ。

この答えは、「体育のスペシャリストだから!」ということに落ち着きます。

要するに、「体育を専門に研究し、運動会というイベントに前向きだからこそ、みんながひっかかる問題点を見逃してしまう」ということ。

勉強が得意な人が苦手な人に教えると、「何が分からないのかが分からない。」なんて結末に行きつくことがありますが、そんな感じ。

解決策を示すのであれば、運動会の種目の話し合いに、

・体育を専門に研究していない人
・運動会というイベント開催に慣れていない人

という人材をグループ内に配置する必要があるのです。

さらに、話し合いの進め方として、そのような「慣れていない人たちの意見を中心にする」というのも大事。

話し合いのスタート地点で経験値の差があるのですから、その経験値を振りかざされてしまったら、初心者は意見が言えませんからね。

だからこそ、提案された内容が「経験値浅めの人にも伝わっているのか」という視点で振り返り、精度を上げていくことができれば、きっと、より多くの人とイメージを共有できるはずなのです。

▼まとめ

本記事では、「反対意見こそ大切にした方がいいよ!」という内容をまとめました。

経験値を積み重ねるほど、その経験値に頼ることになりがちですからね。

自分の意見に固執しがちになることも注意したいものです。

「新しさはいつも新参者がもたらす」ということを頭の隅においておくことで、失敗の罠から逃れることができるのです。



いただいたサポートは、地域の「居場所」へ寄付させていただきます!