教師の「評価軸」として忘れてはいけない考え方とは。
9月1日は、学校にとって要注意日とされています。
その理由は、夏休み終了がして再び登校が始まる日だからです。今年は、イレギュラーな年なので、9月1日に対する先生方の気持ちは、通常よりも若干穏やかに過ぎていくことでしょう。
もちろん、通常運行であれば9月1日は教師にとっても要注意日かもしれません。夏休み明け、学校へ行くことに気を病むのは、子どもだけではないからです。
では、「学校が好き!」、「子どもが好き!」という楽しさを全面に出して働いた教師が「注意すべき考え方。」「捨てた方が良い思考法。」そんな話題を本日の記事としたいと思います。
▶教師が捨てるべき考え方。
結論から言うと、ずばり、
「しなければならない。」
という考え方です。
学校という組織は必要以上に合わせることを求められます。もちろん、大学卒業仕立てのぴかぴか社会人1年目に、「学級担任」を任せるというハードモードな職場なので、
「足並みを揃えすぎることは危険!」
ということに気づき、「自分」を保ちながら学級経営をするということは難しいでしょう。さすがに、最初は先輩教師のやっている方法を真似て学級経営していこうと思いますよね。
もちろん、面倒見がよい大人の集まりというのが教師集団の特徴ですから、若手が自分の学級経営方針を頑張って取り入れようとする姿は嬉しいもので、ついつい手取り足取り教えてしまうでしょう。
しかし、必要以上に「そろえよう」という心をづかいがクリエイティブな若者を苦しめていくこともあるのです。
かなり前の話ですが、先輩教師が若手に対して、
「掲示されていた成果物が、一人だけ違っているのはおかしい!」
というご指導をされている場面に出くわしました。僕は、「おっ?」と思ったのですが、その二人の関係性を保つための上手い言い訳を考えているうちに話は流れていってしまいました。
僕が伝えたかったのは、
「一人だけ掲示されているものが違っていてはいけないのか。」
ということです。
むしろ、
「子どもたちの思いによって様々な作品が飾られても良い。」
と思うのですが、まだまだ「全員が一致が美しい。」とされる風潮の強さをまざまざと感じた思い出です。
▶「しなければならない。」思考が生み出す魔物。
長い間このような刷り込みにさらされてきた教師は、「比較」という最強の敵と対峙することになります。
そもそも、一人ひとり個性がある「人」の集まりを率いているわけですから、隣の学級と違う状況になることは至極当然なのです。しかし、「足並みを揃えましょう。」という呪いの言葉が、「個性」をつぶしていきます。
やはりイノベーションは、「新人」から生まれます。
分からないながらに努力して、その結果ベテランには思いつかないようなおもしろい実践が生まれたとしても、
「隣のクラスはやっていないから。」
という判断基準でやめてしまうことが多いのが現状です。
常に隣の学級と「比較」して、同じように「できている」か「できていないか」という判断基準で考えることになってしまうのです。
この思考法が極まると、
「隣のクラスは○○なのに、うちはできていない。」
という結論に至ります。「隣のクラスみたいにやらないと。」という絶対にたどり着かない無限ループに陥った結果、自分へのプレッシャーをかけることになり、心を痛めてしまうのです。
「○○のクラスのようになりたい。」
という、「あこがれ」は良いのですが、ときに自分の足をひっぱります。
その願いははなから叶わなのです。
その先生の学級は、その先生しかつくれません。
学級という場所は、
「担任した先生の人間性と、集まった子どもたちの人間性。」
で運営されているのですから。
だからこそ、気持ちを保つために忘れてはいけないのは、
「自分の学級が最高!」
という考え方なのです。
▶まとめ。
本記事では、「『自分』を大切に!」という内容をまとめました。
自分が刷り込みの申し子になっていないか判断する方法は、
「自分自身の『考え方』、そして、『子どもたちへの接し方』。」
から判断可能です。
単純に、子どもたちへ声をかけた根拠が、「隣の学級と足並みを揃えるため。」ではないか冷静に振り返ってみましょう。
「本当に子どものことを思ってアドバイスしているのか。」
を再度振り返ることで、「自分」を保ちましょう。
教師として、一番説得力がなく、一番自分を苦しめるのは、
「自分が心から良いと思っていないことを良いと伝えること。」
なのですから!
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