こんな変な宿題がおもしろい。
「宿題」をキーワードとして話し合うと、結構盛り上がれると思うのですが、その理由は、「宿題についての考え方が多様だから」でしょう。
そんな宿題論争で僕は「極端に出さない派」に属しているのですが、その理由について議論していてもつまらないので、こんな宿題だったらおもしろいのになぁという話を本記事のテーマとさせてください。
▼こんな宿題がおもしろい。
「極端に出さない派」代表の僕も、たまには気合いを入れた宿題を出すことがあります。その基準は「授業で使えるもの」。
家族へのインタビューや体験活動など、授業で話し合うためのネタ作りのような「宿題」は価値のある宿題だと思うのです。
ただ、そんな「宿題」さえも凌駕する究極の宿題を紹介している本を見つけました。
「#伝説の授業採集」では、変な宿題がいくつも紹介されています。例えば、
のような感じ。
もちろん、小学生には難しいでしょう。ただ、僕が感じたのは、そのまま使うことではなく、「あぁ、こんな突き抜けた宿題もありかもな。」という宿題という枠の破壊について。
しかも、ただ破壊神になればいいってもんじゃない。宿題を提供する教師側としたら、「その宿題がこれから先に展開される授業においてどのような手立てとなるのか」をしっかりと位置付けた上でのことで暴挙に出る必要がある。
最初はとまどう子どももいるでしょう。しかし、ドリルやプリントのような「THE・宿題」だけでなく、このような「突拍子もない宿題」が紛れていると、「学び」のおもしろさという枠を広げられるのではないかなぁとも思うのです。
▼知らずに慣れていく。
人間の適応能力は超優秀。僕自身、小中不登校からの教師という路線だったので、学校に採用されたときは「なんで?なんで?」と問題意識が研ぎ澄まされた存在でした。
#そこに僕の価値がある
しかし、時が経つこと十数年。すっかりトゲは丸くなり、学校という環境に慣れ親しんでしまっていました。
これは、子どもたちも同じこと。一昔前、「ブラック校則」なんて言葉がおもしろがって取り上げられましたが、我が校でもプチ変革がありました。
「先生、なんでこんな校則があるんですか!!」
なんて強めの問題意識をもった子どもたちが出てきたのです。もともと、教師側も校則の見直しが必要だという意識が高まっていたので、
「じゃあ、みんなで校則を作り直してみたら?」
なんて感じで子どもたちに託してみたのです。
それからというもの、
ことにしたのです。
最初は、「とんでもないルールができたらどうするんだ。」的な意見もありましたが、実際に任せてみると全然そんなことなかったのです。
不思議なもので、子どもたちに任せたものの「それまでに学校側から提供されていた校則とほぼほぼ変わりないものができあがる」のです。
もちろん、なかには「それはちょっと…」という校則を提案する子どももいるのですが、6年生が話し合う中で、「それはちょっと…」という結論になっていく。
ただ、「校則」の意義は、めちゃくちゃ変わっています。子どもたちにとってみれば、「自分たちで決めた校則」なのか「先生側から提示された校則」なのかで、それのもたらす価値は全然違いますからね。
ただ、「突拍子もないルールができない」ということに若干の寂しさを感じる部分もあります。
考えすぎかもしれませんが、「それだけ『学校というものはこう!』という枠組みが子どもたちの中にできあがっている」ということなのかなぁとも思うのです。
だからこそ、「校則」も「宿題」も教師側が「えっ、それってあり?」となるラインを攻めることで、子どもたちの「枠組み」をよい意味で壊してあげることも大切ではないかと思うのです。
#あくまでもよい意味で
もっともっと学校の可能性を広げていけるよう、常に枠組みにとらわれないようにしたいものです。
▼まとめ。
本記事では、「変な宿題こそ子どもの学びを広げる」という内容をまとめました。
これだから、教師という仕事はおもしろいですよね。常に正解はないというか、常にバージョンアップしないと時代に追いついていけないという難しさでもあり、やりがいでもあります。
これからも、共に教育のカタチを追求していこうではありませんか!
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